古代ローマ帝国

古代ローマ帝国は紀元前数世紀という歴史。百聞は一見にしかず。ということわざにあるようにその大きさに驚いています。 コロッセオは7.5万人収容でき、20分で7.5万人が出入りできるように設計されているとか。
カラカラ浴場は約2千人が一度に入れて、ランニングのトラックも設備されている総合健康ランドで、今のジムとは比べものにならない規模のものです。これが今から1700年以上前に市民の娯楽として作られたとか。
なぜこういうものが造ったのだろうと、歴史を知りたくなります。


   

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イタリアの歴史

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世界の歴史


1.人類の発生。
最も古い人類は400万−300万年前にアフリカなどにあらわれた猿人(アウストラロピテクス類)といわれている。ついで150万年前ころよりジャワ原人、北京原人(シナントロプス・ペキネンシス)があらわれ、骨格から言語能力を持っていたと思われる。北京原人の洞窟には火の使用の跡がみられる。

およそ20万年前ころより原人より知能の著しく発達した旧人ネアンデルタール人が出現した。最初はドイツで発見されたが西アジアや中央アジアにも住んでいた。

我々の直接の祖先の新人は4−3万年前にあらわれ、代表的なクロマニョン人は見事な洞窟壁画をのこしている。原始的な石器や投げ槍を使って狩猟活動をし、まじないや儀式として壁画を描いたといわれている。
新人はヨーロッパ、アフリカ、アジア各地にひろがり、気候・風土に適応して各人類に分かれていった。原人・旧人・新人は血縁集団(20−100人)をつくり生活していたと考えられる。この時代の地球は氷河期と間氷期がくりかえされる厳しい自然条件下で、植物採取や狩猟で生活していた人類にとってこれによる生物界の激変は群れの生死にかかわったと推測される。必要最小限の食糧しか得られないため、群れの生存には得られたものを群れ全員が平等に分ける社会であったはずである。
この時代にも群れと群れの抗争があったと思われるが原因は食糧の絶対的不足により、群れの生存をかけた戦いが大部分であった。よって勝者が敗者を皆殺しにするという、平等と死が隣り合わせの厳しい社会であった。

2.四大文明の発祥。
  4−3万年前の新人出現以来、野生動植物による食糧確保は常に気象条件に左右されていたが、紀元前6500年頃より農耕と牧畜による食糧生産が始まると、生活にゆとりが生じた。18世紀後半に始まった産業革命に比べられる食糧生産革命といわれる。

これにより数千年を経て大河の流域で農耕に適した地であるチグリス・ユーフラテス川にはさまれたメソポタミア、ナイル川流域のエジプト、インダス川流域のインド、黄河流域の中国などに古代文明を生み出していく。

紀元前4000年頃になると人工の堤防を築きナイル川の治水・灌漑を行えるほどの大規模の集団労働とそれを指揮・管理する強力な権力と官僚組織ができ農耕村落が都市国家といわれるものに発展していった。エジプトでは二千数百年にわたり同じような体制が維持された。

紀元前3000年頃メソポタミアにも都市国家が建設された。そのころ、羊や山羊の家畜化で農耕の不適な地でも生活が可能になった遊牧民の活動が見られるようになった。
紀元前3000年末になるとオリエントにはインド・ヨーロッパ系の遊牧民の民族移動の嵐が吹き荒れるようになった。
強大な専制権力は治水・灌漑工事の必要から生まれたと考えられ、ギリシャ、イタリア、スランス、スペインなど地中海沿岸地方に多くの都市国家がうまれ各勢力の覇権争いがすすんだ。

紀元前四百年頃ギリシャのアテネでは市民権をもつ十八歳以上のすべての男子に参政権が与えられ、民会を国政の最高機関をする直接民主政治が実現した。ギリシャのスパルタは軍国主義体制となった。紀元前三百年代になるとギリシャの三大哲学者のソクラテス・プラトン・アリストテレスが輩出された。


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参考文献。
世界の歴史がわかる本。 古代四大文明〜中世ヨーロッパ編
  三笠書房  綿貫 弘著
図解雑学 世界の歴史
  ナツメ社  岡田 功 著
世界地図から歴史わ読む方法
  夢文庫   武光 誠 著