前回の予告通り、業界に横行するセクシャル・ハラスメントについて記す。この『業界』という言葉が、どのような範囲を示すのかが、一つの問題ではあるのだが、これはまた別に述べる。
舞台にしろ、映像にしろ、一つの物語を生身の俳優が演じるという現場にあっては、一般社会とはセクハラの範囲も異なる。演劇を含むドラマの多くは、人間関係上のエロスを重要なテーマとして扱っている。俳優は台本に一言「熱い抱擁」と書いてあれば、嫌いな奴とも抱き合わなければならない。一般社会の感覚からすれば、理不尽この上ない事を受け入れなければ成立しないのが物語を体現する者の仕事である。
しかし、「職権や地位を利用して性的関係を迫る事」は、演劇や映像の現場でも、当然セクハラとして糾弾されてしかるべきものだ。一つの実例を示そう。
十年ほど前だった。商業演劇等の仕事をしている友人の一人から、次のような話が持ち込まれた。
本誌読者なら誰でも知っているであろう、昭和を代表するスターを看板にした大作映画が創られる事になって、それなりの演技力を持った若手を探している。小さな役だが、それなりのギャラも出るし、きっかけにはなる。何人か推薦して貰えないか、と……
私が紹介した若手が何人か合格し、その映画への出演が決まった。その中に、これまた本誌読者なら誰でも知っている大劇団に所属していたが、劇団員になるまでの査定で落とされ、俳優としては失業中だった女性が居た。埋もれさせてしまうには惜しい逸材だと思っていたので、まずはめでたしだったのだが、数週間後、彼女は泣きながら私に電話をかけてきた。
彼女が言うには、製作サイドにいる某人物に気に入られ、最初は順調に進んでいたらしい。そのうち、その某氏は、次のような事を持ちかけてきたと言うのである。
「あなたは才能もあるし、ルックスも良い。今のような端役ではなくて、もっと台詞の多い、重要な役につけてあげよう。今後も、僕が仕事の世話をしてあげる。そのかわり、僕の愛人になりなさい。生活の面倒も見てあげよう……でも、断ったらただじゃすまないよ。この映画の役は勿論、この先、この業界では仕事が出来なくなるからね」
かなり悪質なな脅迫である。そして、彼女の話はそれだけでは終わらなかった。
彼女は、私に電話をかける前に、以前所属していた例の大劇団の先輩に、この事を相談したというのだが、その先輩は、「そんな事はこの世界では当たり前だから、愛人になる事を受け入れるか、女優を諦めるか、どちらかしかないだろう」と言ったというのである。
仰天した私は、彼女に兎にも角にも逃げる事を勧めた。某氏の言う業界の範囲は判然としないが、舞台の分野にまで及んで、女優業を妨げる為には、犯罪的な行為にまで及ばなければ不可能である。そもそも、「業界から消す」等という事は不可能なのだ。事実、彼女はその後、圧力をかけられる事も無く、多くの舞台に立ち、他にも様々な仕事をした。
そして、今日に至るまでに、同様のケースに関わったり、耳にする事が度々あった。共通しているのは、仕事や役の便宜と引き替えに肉体関係を迫り、断れば業界から抹殺するという脅し文句をちらつかせるという手口……そして、標的になるのが、決まって若くてキャリアの浅い、連中の脅し文句に萎縮してしまうような、素直で清純な女優達である事だ。彼女達は一様に、連中の妨害が小さな舞台にまで及ぶ事、つまりストーカー的な嫌がらせが知人や仲間に及ぶ事を怖れ、引き隠り状態になってしまうのである。
この手の悪質なセクハラを仕掛けてくる奴らは、実のところ一握りしかいない。権力を背景とする悪意は、権力を持っていなければ発動しない。権力は極々一部に集中し、極悪人は権力者の更に一部だからだ。しかし、そうした状況を容認してしまう土壌が、業界の其処此処に見受けられるのも事実だ。この辺りは、警察組織の不祥事と、あい通ずる処がある。
事実、こうした人事権を巡るセクハラが話題に上った時の演劇人の態度は、真っ二つに別れる。一つは嫌悪感を露にして激怒する人。もう一方は、ごくありふれた事として、積極的にではないが是認してしまう人である。先の「そんなの当たり前」という助言をしたという大劇団の先輩などは、その典型的な例だ。
実際に仕掛けてくる連中が、許し難い極悪人である事は論を待たないだろう。しかし、消極的な肯定をしてしまう人々の方が、より厄介な存在であると私は考えている。被害者の逃げ道を塞いでしまうのは、実は彼らなのだ。遠巻きにイジメを見ている教室の風景が、そのまま、いつまでも続くのだ。
結局、演劇界がどうしたこうしたではなく、日本社会その物が抱えている病巣が、こうした問題の底辺には横たわっているのだ。そういう訳で、次回も、もう少しだけこの話を続ける事にする。
最後に、今後このような目に遭うかも知れない貴女へ……その時は、迷わず、お逃げなさい。芝居をやれる場所はいくらでもある。
2000.3.13(『テアトロ』2000年五月号)