時間 地点
朝食 8:26 上浦町浅海井浦 民宿タンポポ
朝もお魚たっぷりで満足。と思いきやさらに追加でおっきな車えびの塩焼き。うれち。最後にコーヒーまで出していただいた。宿のご夫婦に歩いていると話していると、「うちの息子も・・・いや、うちの息子は変わりもんでね。自転車であちこち行ってたよ。」と。息子さん、今はミャンマーのヤンゴンで料理店を経営されているらしい。ご夫婦のお子さんにしては小さいなと思っていた宿にいた男の子と女の子は、息子さんのお子さんたちで、店が安定するまで預かってあるらしい。
大きな荷物は宿に置かせてもらい、軽い荷物だけ持って、少し戻るカタチで暁嵐公園へ向かった。「出かけるけど、開いてるから、誰もいなくても入っていいから〜。」とタンポポのご夫妻。そんなに安全なんっすか、この町は。出るときに緋扇貝のお守をいただいた。
10:22 上浦町浅海井浦 暁嵐公園






暁嵐の滝がメインのこの公園。綺麗に整備してありました。六兵衛どんと河童の銅像やら、竜安寺の石庭を模したというミニ石庭など。

カッパの話が面白かったので、紹介。

 昔々、浅海井(あざむい)に六兵衛という人がいました。一町歩あまりの田畑を耕し、滝のほとりに水車を持っていました。
 ある日のこと、水車がギーィという異様な音を立てて止まってしまったので、「また子どものいたずらだろう」と思い六兵衛が水車の近くに行ってみたところ、おどろいたことに井堰(田に水を引込む用水口)で大うなぎと大蟹(カニ)とが格闘していた。そのために水が溢れて水車が止まったのだということが判った。また、滝の主が大ウナギと大カニであることもわかった。
 その後何事もなくのどかな日々をすごすうちに暑い夏がきた。六兵衛は十五夜の月の冴えた晩に、田の草取りをしていたところ、大ぜいのカッパがやって来て、「おじい、すもうをとろうや」「おじい、すもうをとろうや」と言ってうるさくつきまとうので、「田の草取りが済んだら、すもうをとってやるからおまえどもも手伝え」と言って、カッパどもに加勢をさせた。六兵衛は岩壁の根方にまつられていた地蔵さんのお堂の前に行って、まずやかんの茶を一杯飲み、やかんのふたを尻にくっつけそれからいくさの前の腹ごしらえに、地蔵さんに供えられている餅をいただいてカッパどもが草取りをしている田んぼに引き返した。お供え物の御利益があって、六兵衛じいさんの眼が光るので、カッパどもは怖がった。それでも時々、草をとるふりをしては、六兵衛の尻に手をやるがそのたびにカンカンと音がする。カッパどもは、「おじいの尻は金尻ぞ」と尻をぬくことはあきらめた。
 やがて、田の草取りは済み約束どおり地蔵さんの前の広場に集まった。六兵衛は相撲の礼式をして両手をついて頭を下げ尻を上げることを教えた。それは、カッパは頭の皿に水がなければ三つ子に等しいからだ。六兵衛はカッパをかたっぱしから投げ倒し、最後に残った大将にも相撲の礼式をさせ、立ち上がるやいなや相手の右腕をとって力いっぱい振り回した。カッパの腕はスポッと音をたてて抜けた。カッパどもは尻を抜ききらず、大将の腕はもぎとらて、ほうほうの体で引き揚げていった。
 六兵衛は、カッパの腕をかついで村に帰り、得意げに事の次第を庄屋に話した。話は村中に広がり、人々はカッパの祟りを恐れて、口々に六兵衛をののしった。六兵衛は、あっけらかんとしてわが家に帰った。 ところがその後、毎夜のことカッパは川魚を持って六兵衛の家に現れ、「大将の腕を返してくれえ」と哀願した。そして六日目の晩、うとうとしている六兵衛の枕元に三匹のカッパが現れ、「七日過ぎると腕が元どおりにくっつかんので、明日の晩までにぜひ返してほしい。そのかわり、じいの言うことは何でも聞くから」と哀願した。そこで、六兵衛は「明日の晩、八つの鐘を合図に地蔵前で渡す」と約束してカッパどもを帰した。翌朝、みんなとカッパの腕を返すための条件について協議した結果、「ふか淵にある大石をシュロの木に仕立てて、その株が腐るまではこの村の氏子に手を出すな」ということを決め、いよいよ七日目の夕方、村人とともに地蔵前の広場に行ってみると、大勢のカッパが手に酒の入った竹筒と川魚を携えて、待ち受けていた。六兵衛が決められた条件を出すと、カッパどもは腕欲しさにすぐ承知した。事のついでに滝の主退治を頼むと、カッパの若者十数匹が威勢よく滝つぼに飛び込んだ。見る間に、大うなぎと大ガニを捕まえて村人の前に差し出した。六兵衛が約束の腕を返すと、腕はクックッと音を立てて元どうり大将の肩におさまった。カッパは、大喜びに喜んで村人に酒をふるまい踊りまくった。村人もカッパも酒を飲み、踊り興ずるうちにいつか酔いがまわって、いい気分になり夜の更けるのも忘れて踊りまくった。残月は青くかがやいて美しかった。
 これが二十三夜の地蔵踊りとしていい伝えられ、踊り継がれて今に及び、夏の夜のにぎやかな行事として育てられてきたということである。
カッパは木の株はやく腐れと祈ったが、大石が腐るわけはなく、あきらめて何処ともなく去っていった。村人は、安心して涼を楽しむことができるようになったという。


[『上浦町の文化財』(上浦町教育委員会編より) ]


この話を旅から帰ってから、蓮さん他に「カッパって尻小玉(しりこだま)抜くやん。やけん、六兵衛さんが尻にやかんの蓋をしてさ・・」って話していると、「ちょっと、その尻小玉って何?当たり前のように話しようけどさ?」と注意された。尻小玉は私のなかでは普通の単語だけど、他の人にはそうでもないらしい。尻小玉抜かれるとふぬけになるという魂みたいなもんかな。

こんな解説もありました。↓
尻子玉【しりこだま】
肛門にあると想像された玉。河童(かっぱ)に抜かれると、ふぬけになるといわれる。
水死した人間の肛門は括約筋が緩み、玉でも抜いたように開いてしまう。ここから「河童が尻子玉を抜く」という話が生まれたと思われる。

水死体とか想像するとちょとリアルすぎるが・。
出発 11:03 上浦町浅海井浦 民宿タンポポ 置かせてもらっていた大きい荷物を持っていく。
11:20 上浦町浪太 塩湯
嬉しい温泉。家族風呂にゆったり入るぞ、と決めていた。ちょうど一つ空いているのがあったので、仕石湯というお風呂に入ることに。塩湯ってことで、前日つぶした水ぶくれのところにしみる(゜ーÅ) が、我慢我慢。
正面が海なので、晴れていれば、空や海がもっと青くてきれいだったろうけど、仕方がない。白い大きな船が遠くをゆっくりと進んで行くのが見える。ゆっくり入ってあったまった。やっぱ風呂はいいねぇ・・・。
出るときに、レジにあった県南の旅というパンフ100円を買おうとしたら、無料でもらえた。
13:08 佐伯市狩生 JR狩生駅 駅舎内は販売用の棚が並んでおり、待合室という感じではない。無人駅なので、駅構内にも入れる。
13:46 佐伯市 中河原 バス停
ドアで仕切られたバス停でしばしメール連絡。心配だから毎晩報告がわりにメールをよこせといわれていたおともだち蓮さんには、上浦町が圏外だったので、返事出せなかったしな〜と思い、報告メールを送信。おともだちの鬼茶ちゃんからも昨日の夜に「今から家に来ていいか」ってメールがきていたのに、このとき受信し、今見たと返信した。
今日の宿を決めなければと思い、予め印刷して持って来ていた佐伯市のホテルの一覧の中から、駅から近く結婚式場と一緒になっているホテルの金水苑に電話した。空室はあるらしく、シングルは2タイプあるという。どう違うのか尋ねると、高い方は冷蔵庫とウォシュレットがついているらしい。広さがちがうんだったら広いほうかなと思ったが、冷蔵庫やらウォシュレットやらは必要ないので、安い部屋に決めた。1泊してみて、快適だったら延泊を決めよう。
14:16 佐伯市海崎 海崎駅
ここも狩生駅と同じで、というか、さらに小さな駅。左半分が駅員が使うところで、右半分にお客さんが座れるようになっているけど、3畳ぐらいじゃないのかな?
朝だけ日替わり駅長が来るらしい。
自分、なんか、鉄道オタクみたいになってきたなぁ・・・。
待合室にはなぜかヤンジャン、ヤンマガなどが山積み。読み放題?
14:33 佐伯市海崎 ユーマート 足の裏に貼るための四角いばんそうこうを購入。
15:04 佐伯市田ノ浦町 陽射しが射してきた。
臼杵駅からずっとここまで曇りか雨だったからなぁ。けど、雨も降らなきゃ降らないでまた大変だし。
15:10 佐伯市平野町 佐伯駅
本日の目標の佐伯駅に到着。観光案内所により、マップを探す。夕食の場所、今から歩いて行ける名所がないか案内所の女性に尋ねると、お鮨屋さんの場所に〇じるしをつけてくれた。ほとんどの店に「サミット寿司」というメニューがあり、何ですかと尋ねると、寿司サミットというのが催されたことがあり、そのときにできたメニューがそれだと。特上のさらに上なのだとか。今から行ける場所として歴史と文学の道にある「汲心亭」という茶室と「国木田独歩資料館」などを紹介してくれた。
無料自転車を貸してくれるらしかったが、歩きたかったので、お断りした。
15:41 佐伯市駅前二丁目 ホテル金水苑 ホテルにチェックイン。新館に案内される。部屋に入り、やっぱホテルのシングルは狭いなと実感。部屋のほとんどがベッド。広さ以外は不満はないんだけど。
着替えや充電用機器など、歩きには必要ない荷物を部屋に置き、すぐに「歴史と文学の道」へ向けて出発。
15:57 佐伯市常盤西町 河童噴水 菖蒲園が続く川沿いに河童の噴水がある。
河童の手の前にセンサーがあるらしく、河童と向き合って、手を何度かかざしてみたが、反応せず。不審者と思われそう。
16:02 佐伯市中村北町 ポップな外観の家。玄関も壁と同じ模様というのが面白い。
お茶 16:09 佐伯市城下西町 汲心亭
5時までだからまだ間に合うかなと思い、館内に上がる。土曜日なのに誰もお客さんがいない。
庭を少し眺めて写真を撮ったりしていたが、人が出てこないので、奥に声をかけて「お茶いただけますか?」と頼んだ。
着物の女性がお茶を立てて出してくれた。そうは見えないが、80歳だそうである。毎日着物を着ているんだとか。洋服を着ていると逆に疲れるそうで。着物姿で下駄で城山に登ることもあるとか。草履ではなく、下駄が好きらしい。車に乗っていると気分が悪くなるらしく、どこでも歩いていくとか。「歩いていると、「乗っていかない?」と声かけられるけど、乗らないの。」と。
歩く楽しさをしばし語りあい、なんで、ジムとかジャージ着てウォーキングって格好して歩いている人で、普段ものすごく近い距離を車で行くのは変だとかいう話で盛り上がった。
とても、笑顔がかわいらしい(といったら失礼かな)女性だった。
しばらく話していて、先に抹茶を飲み干ししまい、お菓子(饅頭)を後からつまんでいると、「あら、もう一杯立てましょう。せっかく遠くから来ていただいてるんだし。」とおかわりまでいただいてしまった。300円でお茶がいただけるし、入場料も不要なので、近くに住んでたら、「お茶しよう」ってときに、たまにはこんなほんとのお茶もいいかも。
17:04 佐伯市大手町一丁目 河童噴水 こっちの河童は反応した。手をかざすと、あたまの皿から水がぴゅーっと出た。
17:29 佐伯市大字なし 佐伯城跡
城山には登るルートが三つある。「独歩の道」が一番上りやすいと観光案内所の女性から聞いていたので、素直に独歩の道を選ぶ。けっこうな山道で汗だくで歩いた。16分ぐらいだけど。家臣やら殿様の篭をかく人も大変だったろうなと思う。ていうか、茶室であった方はよく着物と下駄で登れるよなぁと感心した。
登ってみると、かなりいい景色。遠くまで一望できる。佐伯の街並みや佐伯湾、そして歩いて来た方向も見渡せる。
いい気分になって、蓮さんやふぢのさんなどに写メールを送る。

南東を眺め、上から明日のルートを確認した。十三の塔が見える。上から見えたので寄らなくていいか。

ぼんやり建物に灯りが灯るのを見ていると、すぐに日が暮れてしまった。「やばい」と思ったときには遅く、急いで早足で降り始めたが、山道に街灯があるはずもなく、懐中電灯が本当に役に立った。あれがなければ降りていくのかなり大変だったかも。
それにしても、暗くなるのなんてわかっているはずなのに、ぼんやりしてしている。こういうところが自他ともに認める「危機管理能力の低さ」なんだろうなぁ。
夕食 18:43 佐伯市内町区新町通り3-28 鮨割烹 第三金波
観光案内所の女性に教えてもらったいくつかの鮨屋さんを何件かチェックし、こぎれいな第三金波さんに入った。カウンターはお客さんで埋まっており、座敷に座った。
どれにしようかなと迷いつつ、「せっかくなら特上」と決めた。(このお店にはサミット寿司というメニューはなかった) 
飲み物は、最初は「お茶で。」と言っていたが、鮨の写真を見ていたら一杯飲むかなと思い、日本酒(西の関 美吟醸)を注文。きれいなガラスの器に鮨が盛られてきた。透明でぷりっぷりの車エビがドカーンとのっててうまい。エビの頭は炙ってあって、そのミソもまたイケる。玉もほどよく甘くて〇 (^ー^*) もちろん一緒にいただくお酒もまた良しで。
だから、歩きはやめられませんな〜。
佐伯市中村南町 ローソン 翌日の歩きの計画のため、ローソンでマップル大分県版を立ち読みチェック。一応デジタルマップルからプリントアウトした地図を持参しているものの、デジタル版にはバス停の場所がのっていないので、県版でチェックする。弥生街から10号線沿いに歩くとしたらバス停があるのは重岡駅までである。
寒くなるという予報だったので、貼るカイロを購入。
20:43 佐伯市 自由の女神 パチンコ屋さんとかじゃなく普通の駐車場にいました。佐伯の自由の女神。
20:57 佐伯市日の出町2-11 欧風家庭料理 KOYAMA 塩湯でもらった県南の旅のパンフに載っていたこのお店。
ホテルに近いようなので歩いて場所をチェックしてみた。良さそうなら、翌日の夕食はここにしようと。外観はよし。うまいもん通りにも佐伯の魚介類を使ったフレンチのお店を見つけたが、明日の夕食はホテルに近いここに決定。
佐伯市駅前二丁目 ホテル金水苑 新聞で明日の天気予報をチェック。一日中晴れだ。
木曜の夜にチェックした週間天気予報では曇りときどき雨だったのに。だから天気予報はあてにならないんだよな〜。
歩いた距離 18km
歩数 36,000歩

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