介護レポート:2003年4月度
「体調不良でデイサービスに行けなくなった」

先月、武蔵野市立高齢者総合センターの介護支援専門員の方が2003年度の介護保険認定のための面接に来られました。その方は、「お母さんは 明るいので毎年お話するのが楽しみです。」と言っておられましたが、今年の印象は、「昨年は靴下をしっかり編むことができて いたのに、今年は何かよく分からない小物を編んでいますね。靴下は無理なようですね。」と言っていました。確かに最近は靴下を完成 できなくなっていました。毎日接していると痴呆の進行は余り感じませんが、1年振りに会う人にはその差がよく分かるようです。 専門員の方は、母と私にいろいろ質問をして帰って行きました。その認定結果は4月に入ってから来ましたが、従来の要介護3級から 要介護4級に1級上がっていました。4級の利用限度額は月額306,000円ですから、従来の3級より約4万円くらい増えました。その増分 を使って在宅介護を毎週1回増やすことにしました。この4月からの介護サービスの利用内容をまとめると、毎週月、水、金のデイサ ービス(9時20分〜12時40分)とその送迎、そして毎週火、木、日の午前2時間の在宅介護です。

次に今月の母の身体の調子ですが、前半は良かったですが、後半は体調を崩しました。何となく食事が進まなくなり、少し食べただけ でお腹が一杯、と言ってそれ以上食べなくなりました。しかし、本人は元気そうでしたので週3回のデイサービスは行っていました。 しかし、なかなか良くならないので4月28日に診療所で診察してもらいました。診察の結果、心電図で不整脈は出ているが、これは 以前と変わりない、とのことで様子をみることになりました。

しかし、その後も状態はよくならず、食事は殆ど食べず、 夜寝ているときに時々苦しそうにうなることがありましたので、4月30日に再び診療所で診てもらいました。その結果、前回より 悪くなっており、たちの悪い不整脈が出ており、肺に水もたまっているとのことでした。「普通だったら詳細な検査をし、入院して安静にし、食事制限な どをするところだが・・・」と言われました。母は2年前に大腿部骨折で近くの病院に入院したときに全く病院に落ち着かず、 4日で自宅に帰らざるを得なかったことがあり、母の入院は無理と私たちは思いました。結局、血中酸素濃度はそれほど 落ちていないこともあり、注意しながら自宅で様子を見ることになりました。肺に水がたまっているので利尿の注射をし、利尿剤 の薬を処方してくれました。塩分および水を控えることとの注意事項を聞き、家に帰りました。デイサービスはしばらく休むことになり ました。

その後、苦しそうにうなることはなくなり、5月3日に診てもらったときには肺の水は大分ひいていました。しかし、食欲は 依然として回復しませんでした。この間、如何に食べさせるかでずいぶん苦労しました。例えば、おにぎり、バナナ、プリン スメロン、りんごなど食べそうなものを準備しておき、気分の良さそうなときに小さめに切って食べさせるとか、妹たちと食べた 食物の情報を交換して参考にしたりして、最低限のカロリーの摂取に心がけました。この頃、頬のゲッソリ痩せたのが目立つよう になりました。しかし、母の明るさとおしゃべりが絶えないことが救いです。

○母との会話

今月後半は、如何に母に食事をさせるかが課題でした。食べさせるための工夫の会話の一部を紹介します。

1.物を大切にする心をくすぐる作戦
「これ(お刺身)は生ものだから今日中に食べないと捨てることになるよ。もったいないから食べて」
「捨てるなんてもったいないよ。今、食べようと思っていたんだ。」
(と言って少し食べました。)
 
2.昔の味作戦
「これ北海道のカレイだから美味しいよ。少しでいいから食べてご覧」
「えっ! 北海道のカレイかい! 私は大大大好きで子供のころよく食べたよ。懐かしいね。」
(母は北海道室蘭で生まれ、育ったのでカレイはよく食べたのです。それにつられてまあまあ食べました)
 
3.注意そらし作戦
「これ、バナ〜ナだよ。おいしいよ。」(わざと最初の"ナ"にアクセントをつけて伸ばすのです。)
「ワッハハ。東京と北海道ではずいぶん言い方が違うんだね。私はバナナと言っていたよ。」
(母が笑っているうちに薄切りにしたバナナを口に入れるのです。)
(2003年5月29日)

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