記事タイトル:消え行く者を追いかけて |
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確かに私も,最近のバスはあんまり面白くないなあ,と思っています。 低床化の進展やバリアフリー法にともない,ドア位置や方向幕位置などが画一化されたのは,世の中にとっ ては非常に良いことですが,趣味的にはいまいちですね。 でも,今10〜20代の方にとっては,今のバスが一番面白いんじゃないでしょうかね。丸型のバスを見せて もほとんど興味を示してくれないような気がします。 人それぞれ,年齢に応じて楽しむ。それが趣味なんでしょうね。なので私は無理に今のバスを理解しようと はせずに,化石のように昔のバスを楽しんでいます。 当サイトもそんなページなので,また引き続きお付き合いをお願いします。[2004年9月5日 23時6分17秒]
お世話様です。現役車ではカラーリングについての意見でしたね。それだけ現在のバスは形態的 には画一化が進んで面白くないのでしょうね。また、私自身廃車体についてはとくに珍しいもの 以外は記録に残していませんでしたが、いよいよ丸型車については第二の人生すら終焉をむかえ ようとしてますね。取り急ぎ丸型車についてはカメラを向けるべきと感じるこの頃です。[2004年9月4日 1時45分7秒]
廃車体が燃えてしまったのですか。それは残念です。 また,廃車体の所有者が「最近変な人がうろうろするようになって気味が悪いから,このバス処分しちゃお うよ」などと言い出さないように,善良なる皆様はルールを守っての撮影をお願いします。 他人の敷地内に入る時は,きちんと許可を取りましょう。敷地外から撮影する場合も,所有者の姿が見えた ら「こんにちは!」と明るく挨拶しましょう。「珍しいバスなので,写真撮らせて下さい」とお願いすれば, 断る人はあまりいないと思います。 「この県南バスのカラーって,昔はたくさん走ってましたよね。懐かしいですよね」と分かりやすいことを 話し掛ければ,相手も心を開いてくれるでしょう。 間違っても「これは40年式の丸型BU10で,国際興業から払い下げを受けたんですよ」みたいな難解なこと を言うと,相手も心を閉ざしてしまうかもしれませんので注意してください。[2004年7月30日 0時12分39秒]
管理人様 ご無沙汰しています。 さて、現存しているBU10(65年式)は、花巻市諏訪にあります。 また、BU10は解体されたBU10のほかにもう1台、道路をはさんだ自動車整備会社でも 所有しており、この会社では「倉庫兼事務所」として使用していました。そちらのほうは残念な がら、2〜3年前にこのバスが燃える朝火事があり、解体処分されてしまいました。 よって、道路をはさんで2台のBU10が違う所有者の下で第2の人生を暮らしていたのです。 さらには、県交通花巻営業所から西に向かうとJR東北本線の鉄橋がありますが、そのそば に数年前まで元西武のBU04の廃車体がありました。 いろんなところで第2の人生を送っている廃車体を私も探してカメラに収めようと思います。[2004年7月29日 12時49分33秒]
そうですか,1台は昨年に解体されていたのですか。 本当に,廃車体も追い掛けないと消えてしまうと言うのは,落ちついていられない話です。 もっとも,廃車体と言うのは,逆に「知らない車両(物体ですが)がまだどこかにあるかもしれない」とい う密かな期待を持てる側面もありますね。情報社会の現在,営業ナンバーをつけた車両で驚くような現役車 両はもう報道され尽くしていると思いますが,廃車体は「近所の者しか知らない」物がまだ各地にあるよう な気がします。[2004年7月28日 22時8分10秒]
今回の更新で終点横川目さん撮影の花巻市内の元国際興業丸型BU10の廃車体が 2台ほどUPされていますが、このうち02年10月14日に撮影された1台が 昨年の春に残念ながら解体されてしまいました。 花巻市内でも丸型BU10は非常にポピュラーな存在で私のお気に入りの1台だっただけに、 この廃車体を見つけて以来付近を通る時はBU見たさにわざと?この傍を通るルートを 採っていました(高校へはこのルートが最短だったこともあります)。 所有者の都合とはいえ20年近く見続けてきた廃車体が解体されるのは、 幼い頃の楽しい思い出が消されてしまうようでなんとも辛いものでした。 現役の車輌だけでなく、廃車体も追い駆けなければならないものの1つなのかもしれません。 もう1台の丸型BU10ですが、残念ながらその所在地は確認できていませんが 解体される前に是非再会したいと思っています。[2004年7月27日 1時18分44秒]
おっしゃる通りですね。 県北バスや羽後交通のカラーが長続きするのは,まず単純な水平ラインで構成されていて,ベース色+赤と 言う分かりやすい色使いだからではないかと思っています。 CIなどで新しいデザインを導入する場合は,新しさをアピールする意味からも,新型バスにしか合わないよ うなデザインになることが多いですよね。 ただ,川中島バス(アルピコグループ)の場合は,当初は路線バスにモノコックボディが多かったので,ベ ースカラーを白ではなくクリーム色にして違和感を軽減していました。最近では路線バスも,新車・中古車 問わず白ベースになっており,時代に合わせて微修正はしているようですよ。[2004年7月14日 22時46分8秒]
おばんです。 私も県北バスや羽後交通のカラーリングは気に入っています。シンプルなデザインなので逆に落ち着くような気 もします。実際のところ、長く続いているデザインはシンプルなものが多いのではとも思います。(名鉄なんか もそうですね) 80年代後半〜90年代にかけてCIを兼ねたり、スケルトンタイプの車体にマッチするようなカラーリングへ変更し た会社が多いですが、弘南バスや川中島バスで見たモノコックにCIカラーは個人的には違和感を感じました。 ※スレッドからちょっと外れた話題になってしまったようです。申し訳ありません[2004年7月12日 23時31分34秒]
秋北バスのカラーは,雪の多い地域でも遠くから目立つと言うメリットもあったと思うのですが。それに 前輪の辺りの塗り分けがボンネットバスの面影を残しておりました。 国際興業グループカラー化の段階は,各社の役員さんの違いなのか,各社各様でしたが,そろそろ似たよう な感じになってきたようですね。こうして見ると,東北地方で昔のカラーを堅持しているのは,民間では岩 手県北バスや羽後交通など,少数派になりました。こう言った会社でも,いきなりイメチェンを図ろうなど と思い立つことがないように祈りたいものです。[2004年7月12日 1時7分14秒]
2年前−丁度このHPが開設された頃ですが−岩手県交通のBU04が近々全廃になるという話が某BBS上で 流れました。しかし、県南地区ではそんな様子は無く花巻所属の車には新しい方向幕さえ取り付けられました。 ところが、昨年の8月以降パッタリとBU04を見掛けなくなりました。90年代の岩手県交通を代表する車だ っただけにその終焉にあっけなさを感じつつも、「お別れツアー」が企画されるなど他の車にはこれまで無かっ た扱いを受けているところに何か複雑なものを感じています。 旧年式に変わってLVが大量に導入され特に盛岡地区ではすっかりお馴染みとなった観がありますが、同時に青 銀の県交通オリジナルカラーが姿を消しつつあります。“その頃”には貸切車は国際興業貸切カラーに変更され てしまいましたが、2ドア車もそう遅くない時期にグループ共通カラーになってしまうのかと思うとこれまた寂 しさを感じています。 某HPにて秋北バスに導入された国際興業路線カラーの2ドアLV見て驚いてしまいました。あのカラーに「秋 北バス」の文字は初めて見たので。90年代中頃まで高速車でもオリジナルカラーを採用していただけに「秋北 バスよ、お前もか・・・」と呟きました(笑)。 車だけでなくオリジナルカラーも追い駆けなければならないようです。[2004年7月10日 1時41分37秒]
こんばんは。 私も岩手県を離れてから,めっきりバスを追い掛けなくなってしまいました。 写真を撮りたいと言うバスがなくなってきたことと同時に,やはり年齢とともに生活環境の変化もあります。 ま,ようやく最近になって余裕が出てきたのか,こう言ったページを作成することで,疑似体験を楽しんで いるというのが実態でしょうか。 現在の私の生活圏の周辺には,もう魅力ある古いバスはほとんどありませんし,廃車体も見掛けません。そ れでも,皆さんからお送り頂く写真を見ると,まだ(廃車体であっても)こう言ったバスが生き長らえてい ると言うことを知ることが出来ます。 いつかこうした残骸でさえも消えてしまう時がくるんでしょうね。[2004年7月7日 22時0分59秒]
お久しぶりです、管理人様そして皆様方 今となっては所帯持ちとなってしまってバスを追いかけることは なくなってしまいましたが、85年頃、終焉せまる丸型車そして 2灯車を追いかけていました。 それでは、現在追いかける価値のあるものといえば、昭和時代のバス、 非冷房車、床がオイル塗りのバス、そんなところでしょうか。 皆様方にいたってはいかがでしょうか[2004年7月5日 22時50分11秒]
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