記事タイトル:国鉄バス |
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左党89号様。 拝見しました。いい車両だと思うのですが,久慈営業所で評判がよくなかったのはなぜなんでしょうね。 当時の国鉄がどのような考えで車両の配転をしていたかは分かりませんが,久慈にはレベルの高い車両が たまに来ていたような気がします。陸中海岸の観光路線と言うことだったのでしょうか。 いずれにしても,私がいた頃あんな車両が久慈に来ていたと言うのに,気付かなかったのが残念でなりま せん。もっとも、1987年にはほぼ撮り尽したという安心感から,あまり撮影をしていなかったという根 本的原因があるのですが…。[2003年2月8日 22時11分19秒]
おはようございます。 その「531-5572」の写真を本日、弊HPにUP致しましたのでご確認いただければ幸いです。 宣伝のみで失礼します。m(_ _)m[2003年2月8日 6時45分41秒]
廃車体の写真ではなかったのですね。早合点しました。でも,現役時代の写真のほうがいいに越したこと はありません。いずれにしても楽しみにしています。 当時の国鉄バス東北では,中ドア引き戸の車両はせっかくの引き戸が役に立ちませんでした。民間になっ たからか、低床化やバリアフリー法の関係か,中ドアを使うようになったのはいいことです。 しかし,91年時点で他にも冷房車が転入していたんですね。JR化後なので北海道からと言うことはない ので,仙台や福島からでしょうか…。[2003年2月1日 19時23分11秒]
おばんです。 久慈時代の531-5572は他の大型路線車と共通で使用されていました。(もっとも久慈海岸線とかには入らな かったでしょうけど…)私も1989年に軽米線で目撃&乗車したときには驚いたのは言うまでもありません。 ちなみに1991年4月現在での久慈営業所の大型路線車は8両で、そのうち冷房車は531-4472・エアサスは531- 5572・531-6554だけでした。 また、久慈では2000年のエルガミオ導入まで「前乗り前降り」でしたので中ドアがあっても用を成さなかっ たことにもなりますが…。 なお、1991年に撮影したのは「現役」のときでして、廃車体は撮影しておりませんのでご了承くださいm(_ _)m[2003年1月31日 21時45分5秒]
観光タイプの2ドア車ですね。国鉄バスお得意のタイプですが,国鉄バス東北にはありませんでした。中ド アが引き戸と言うのも独特ですね。久慈営業所では何に使われていたのでしょうか? 長距離には前ドア車が使われる東北管内では,確かに使いにくい存在だったのかもしれませんね。最後 に移動した十和田南営業所のほうが最適の働き場だという気がします。 87年3月に久慈に来ているということは,私も目にする機会があった筈ですが、最後の1年間はかなりサ ボっていたので,撮影するのはおろか目にすることもありませんでした。ちょっと残念です。 左党89号さんの廃車体の画像UPを楽しみに待っています。[2003年1月31日 19時2分49秒]
おばんです。 531-5572ですが、富士5Bボディながら前中扉(中扉引戸)という仕様でした。(P-LV214N) JR東北で1両しかいなかったというのも経緯からすると納得しました。 この531-5572は久慈営業所〜久慈支店で1997年ごろまで在籍後十和田南営業所へ転属し、現在は廃車となり 十和田南駅近くに廃車体が留置されています。 なお、この車両を1991年に撮影しておりますので、近々弊HPへUPしようと思います。(PR失礼致します)[2003年1月29日 21時26分48秒]
641-2974(いすゞCQA550)が札幌へ移っていたとは。元が長野原なので,かなり北上したわけですね。 岩手ではJR化前後に高速新カラーへの塗り替えを始めており,確かに小さくて丸いツバメマークが存在し ました。ただ、番号の文字が地域によって違うと言うのは知りませんでした。 647-5976(日野RU638A)は当ページでも,2つの岩手ナンバーの写真を掲載していますが,その間に北海 道へ行っていたわけですね。この車両の登場時は青森ナンバーだったようで,国鉄バス東北の貸切パンフ レットに「青森22か103」というナンバーで大きく写っていました。(次回の更新時にでも「過去の本棚」 コーナーでお見せします) これで配転の流れがかなり分かって来ましたね。 531-5572は当ページに掲載のない車両でしょうか?富士重工の十和田北線仕様車(前ドア)ですか?[2003年1月29日 20時9分45秒]
私もバスや他の趣味を含めて80年代が好きです。今回の国鉄バスの内容、大変参考になりました。まず、 いすゞ641−2974ですが国鉄分割民営化のぎりぎりの87年3月末に札幌圏へ転属してます。車内は 貸切仕様へ改造されてました。塗装はすでに新国鉄高速色化されてましたがつばめマークが小さいものとな ってました。塗り替えは形式番号部分が岩手独自の細い数字の書き方なので転属前に塗り替えたものと思わ れます。(北海道の工場で塗装したものはもう少し数字が太めです。)道内では岩見沢や恵庭などを経て平 成5年にJRバス最東の厚岸営業所に転属し路線車に改造されました。話を戻しますがこの時期、北海道から 逆に東北へ転属したのは一時期岩手から北海道へ転属してた647−5976や531−5572が入りま した。647−5976は道内では貸切に使われてましたので転属後の87年6月も弘前駅のJRバス駐車場 で貸切として使われているのを見かけました。531−5572は87年3月まで札幌都市圏での活躍を確 認してます。その後久慈営業所へ転属しましたが現場ではあまり評判がよくなかったようです。[2003年1月29日 14時49分0秒]
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