ぼく1 |
半月前。ボクは父親の転勤に伴って高校を転校した。
静岡から東京へ。それはそう遠いものではなかったが、一年半ばの楽しい盛りの事だったこともあり、ボクはなかなか新しい学校に慣れる事が出来ないでいた。
「道信」
…
「おい。ミチ」
寝たふりでやり過ごせないのは分かっていたが、僕は起き上がるまでにもう一度名前を呼ばれるのを待った。
「ミチノブ!」
しぶしぶ、ごろりと寝返って目だけで返事をする。ボクのダルダルな気持ちを表すかのように、ベッドがいい感じに軋んだ。
「起きないのか?」
かすかにタバコが香る。マルボロメンソールライト。ついさっきまでヘビーに煙を吐いてたに違いない。声の主は当然父親でしかありえなかった。もう一度。呼ぶ?
「ミッチョン」
「やめれ」
間髪いれずに拒否した僕の気持ち誰かに解るだろうか。そのあだ名はサイテーです。せめてそれくらいは毒づきたかったけど、父親の表情は思いのほか深刻そうだったのでやめた。おそらく形の良いであろう眉毛を、眉間にきゅっとよせている。言い
たい事があるのだろう。なんせ僕はここ二週間ばかり学校には行ってない。家で寝てるか、本読んでるか、勉強してるか、それはとにかくこもりっ放しでじっとしてい
る。気にならないわけがない。
ひとまず起き上がる。
「今日は具合が悪い」
適当な理由を口にする。許される範囲だろうか。
「そうか…そうだな」
静かにうなづく父に、もう少し明確な理由を言ってみたくなる。
「行きたくないんだ」
少しストレートすぎるだろうけど、僕は答えを待った。沈黙が落ち、さすがに後味が悪い気分におちいってくる。何か言えよ。
僕は父の顔をなんとなく見れず、手元のシーツの縫い目をひたすらなぞった。それはもう指先がヒリついてくるくらい。長すぎて、頭の中がシーンという擬音で一杯になってきた。もう少しやんわり言った方がよかったのか。
コホ。と父は軽く咳をした。静けさは少しだけ和らいだ。僕は、やっとのことで顔を上げる。
途端に。髪の毛をクシャっとやられた。それは、華奢なわりにデカイ手。しかも僕の猫っ毛にひっからまることなく、あっとゆうまに鳥の巣を作った。僕の頭の上に!!
「それを聞いて安心した」
「え」
何故?
「引っ越す故」
何処にー?
「不思議の国」
随分メルヘンなんだね親父。イカレ??流した方が良いのか受け答えしたらよいのか迷う。いつまでも子供だと思ってバカにしてるのか。
とりあえず無言でゆくことにした矢先。
「いやマジで!!」
「マジとかいうな!!」
父親の若者言葉に素で返しながら、マジで??と頭の中で反芻してみた。なぜにゃらば、目がマジだ。やはり父はアホの子だったのかと、僕は少々薄気味悪そうな顔で見つめ返した。
「ママがね、不思議の国の女王様だったわけ」
突然語り口調になったと思えば、死んだ母の事だ。しょうがないので耳を傾ける。ってかあんたが一番不思議デス。
「ママが亡くなってからこっちに帰ってきたけどな。ミッチョンは王子様で、パパは婿養子でね。最近になって向こうの親御さんが帰って来いって」
ありか?いやナシだろう。
「いや、ありだって。お前家継がなきゃなんないんだよ?不思議の国の王様になるんだにょ?」
この際心を読まれてる事はよしとしよう。だけど、王様はナシだと思う。むしろ「にょ」がなしか。僕は、静かに窓の外を眺めた。いい天気だ。窓の縁に埃が少し積もっているのが気になる。そろそろ掃除しなけりゃなるまい。不思議と穏やかな気持ちになってきた。
「ミチノブー」
呼ばれて振り返ると、父はふくれっつらだ。
「そうかそうか。親父。かまって欲しかったんだ?」
としか思えず、真面目に聞いた。
「いや、信じろヨー」
まだ食い下がる気か。僕は、あくまでも冷静に聞いた。
「そこどこにあるの?ここからの移動ルートと最寄り駅は?」
「むきー」
言葉につまったらしい。
しかし、次の瞬間、信じられない光景が。
「これをみろ!!!!!」
父は、これでもかというほど声を張って何かを差し出した。それは、一枚の写真だった。少しだけ鮮明さを失ったその中には、この父と母とそして赤ん坊が写っている。後ろには見慣れない男女が二人金髪で鼻高々。そうか、母方の両親か。なんせ母も金髪なので、このフリからして当然そうなるだろう。勿論赤ん坊は僕。
だが、僕は別の事実に思わず眼を疑った。
「それ、よくみてみろよ」
言われるまでもなく、僕は凝視している。ただ母やその親が写っていただけならば、こうも驚くまい。
「これは…」
「ソレが証拠だよママ綺麗だろ」
確かに綺麗だ。薄い青色のフリルつきのドレスに、見るからに華奢な冠?どうみてもその姿は中世のお姫様じゃないか。それだけじゃない。後ろには白亜の城。かのノイシュバンシュタイン城をも髣髴とさせる美しさだ。そして優雅に微笑む祖父母の姿もまた王冠をきらめかせ、凛々しい王族のようにみえた。母とおそろいの布とフリルで出来たおくるみで包まれた僕が、いかにも品の良い顔でこちらを見ている。
しかし父は何故かジャージだ。
「婿養子だので…」
僕の気持ちを察したのか、隣で父はぼそりとつぶやいた。今はそれはどうでもよい。
一体どうなっているのだろうか。不思議の国とは言わないまでも、これでは本当にどこかの国のロイヤルファミリーではないか。今まで母方の方の話はほとんど出たこ
とがなかったのに、いきなりこれではびびる。さすがに言葉を失った僕の頭を、父は再びくしゃりとなぜた。
「ごめんな、親の勝手で」
「父さん…」
僕は王子様なの??
「うん。ほんとはね、桜庭道信じゃなくてね、ミッチョン・スーラ・アドゴニョコフJrってゆうんだよ」
「ミ…」
すでに二文字目から言えなかったが、なんとなく豪華だ。豪華だが…。
「王様になってもパパのことずっと大事にしてくれる?養ってくれるだろ?保険とかちゃんと払ってくれるよね?ね?」
保険とか…。ええー。セコイ??…そうじゃなくて…。
「俺ミッチョンの傍にずっといていい?親子だもんね?いいよね??」
僕は、じっと自分の手をみながら頷いた。
父の言葉にではない。
グルグル翻弄されてた思考回路がパチリと音を立てて戻ってきたのだ。
「なあ、ミッチョン?」
尚も耳元でささやき続ける父。僕はやっと口を開く。
「ア」
「あ???」
「ア…」
「ミチ?」
振り向きざま。
ガ…コーンッ!!!とね。
「!!!!!」
僕の額は見事なまでに弧を描き、父の顔面に頭突きを食らわせていた。
「アーホこのクソ親父てめーいい加減な事ぬかしやがって!!!」
「ミチ−」
泣きそうな声出しても無駄だ。この写真。
「ディズニーランドじゃねーかっ!!家族そろってコスプレすなっっ!!!」
一瞬本気にしかけた自分が恥ずかしい。僕はバカか。高校二年にもなって不思議の国はナシだろう。ありえない。なにより、うちの親父はバカか!!!情けなさ爆発。
「だってさ、ミチー。パパお前が元気ないしでさー」
しかもヨワっ!
「もおいい。とりあえず部屋を出てけ」
そういいながら、僕は学校の制服を引っつかんだ。ついでにカバンも引っつかむ。
「いい。僕が出てく。てか、自分のことパパいうな」
捨て台詞になったろうか。おもいきり閉めたドアの向こうでにんまりする父の姿が見えたようでむかついた。いちいちやることが回りくどいんだよ。
かくして。僕はしっかり学校に行き、なんとなくホッとした気分を味わったのだった。家に居て父にかまわれる事を思えばどれだけましなことか。
それ以来適当にしてたらいつの間にかクラスにも馴染んで全然問題ないし。なにを拗ねて一人でウジウジしてたのやら。父を見てたら大抵の事はアホみたいに思えてくる。僕は落ち着きを取り戻し、なによりあの長い名前ではなかったことに安堵したのだった。
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