春の嵐が吹き荒れる。春を呼ぶ嵐が駆け抜ける。 風雨ですべてをなぎ払い、春の嵐は過ぎてゆく。 そんな中で、若者は志半ばにして倒れた。 春一番は通り過ぎ、妙に春めいた朝を迎えた。穏やかで心地よく、うららかという言葉がぴったりだった。 その上もうすぐ春休みということでいつも以上に浮かれ気分の真帆は、遠回りして学校を目指していた。足取りも軽く、普段は通らない小学校の横の道に差し掛かる。 「ああ、真帆ちゃん。今この道通れないよ」 顔見知りのおじさんに止められた。言われなくてもわかる。目の前の道は、桜の倒木によってふさがれていた。 「うわー、折れちゃったの? この木」 「昨日の嵐でな」 横たわる幹は真帆の胴回りほどあった。木としてはまだ老木とはとてもいえない。その桜の木が倒れてしまっていた。 「せっかくもうすぐ咲いたのに」 張り出した枝には、たくさんの蕾が膨らんでいる。今年の花を咲かせることなく、二度と咲かせることができなくなってしまった。その枝の中で、まっすぐ伸びた、腕より一回り細い枝が真帆の目に飛び込んできた。 「おじさん、この木、どうなるの?」 「さぁ?」 市役所の営業時間になったら連絡して、どかしてもらおうと思っている。まぁ廃木と言うのかはわからないが、処理されるのだろう。 それを聞いた真帆は、おじさんにこびてみた。 「どうせ捨てられちゃうんだったら、あの枝、頂戴」 でもおじさんのじゃないからな、と困惑しつつも「ちょっと待ってろ」とどこからともなくのこぎりを持ってきて、枝を切り落としてくれた。 「誰にも言うんじゃないぞ」 うん、と頷きつつお礼を言って、改めて学校へと向かいなおす。多分、もう授業は始まっているけれども、とりあえずそんなことは気にしていなかった。 「どうするんだよ、こんなもん」 演劇部の部室に枝を持ち込んだのがばれて、健に問い詰められてしまった。 「えーと、……小道具の材料」 苦し紛れに真帆は返した。 春休み明け早々に、新入生歓迎会のための演目発表があるから、それに使えるだろう。というわけでどうにか乗り切ろうと考えた。 「すでにあるじゃん、小道具」 足りないものもあるけれども、それでもどうにか揃いはじめている。そして、枝で作れるものは今のところない。 「まぁ、ほとぼり冷めるまで置かしてよ。ね?」 真帆の頼みには、大概の人間は逆らえずに呑んでしまう。それが男でも、女であっても。 「今回だけだぞ」 健はそう言ったが、これでその言葉は何回目だろう。諦めともいえる軽いため息を吐いた。 「ありがとう、健くん大好きよ」 にっこり笑う真帆には、誰にも敵わなかった。 剣道部から衣装を借りるといっていた部長が戻ってきた。 役者分のはかま、道着はどうにかそろう手はずになったようだった。 「問題は……刀か」 とりあえず観光地にある安っぽい刀は数をそろえるだけそろえたが。 「虎徹がこれではまずいでしょ?」 演目は新撰組の近藤勇。虎徹の決め台詞は舞台のクライマックスだ。そのとき翻る刀がこれでは、いくらなんでもまずいだろう。 「贋物だったんでしょ、近藤勇の虎徹って」 いくらそうだといっても、とりあえず舞台栄えするだけの長さが足らない。できることなら虎徹模造品がほしいところだ。 「高いんだよね、模造刀」 「もう! これだけ人数いるんだから、一人くらい模造刀持ってこれる人はいないの?」 あるにはあっても貸してくれない現実がある。やはり一本くらい、いや、脇差とで1セットくらいは備品としてほしかった。 「鞘だけならいいって言っていたけど……ねぇ」 本体は危ないので貸せない、と断られたのだ。 「おい、あの枝で刀作れよ。その鞘にあった刀」 健が突然真帆に振ってきた。 「ええ!?」 「そりゃいい」 「あら、いつの間にこんな枝が……」 「決まりだな、決まり」 とんでもないことになってしまった。 暗記が苦手で役者としてはとても使いものにならない真帆ではあったが、異常な手先の器用さと顔の広さで道具をそろえる担当をしていた。剣道部に口を利いたのも真帆だったし、役者分の刀をそろえたのも真帆だった。模造刀の心当たりは、健の家で見たことがあったからてっきりそれだと思っていたが、「危険」の一言で持ち出し不許可。鞘だけならいい、というのはそれだけでは無駄だろうという意味合いだ。 しかし、心当たりが鞘しかないのなら、それでどうにかするのが真帆の真帆たる所以だった。 「では、早速」 というわけで健と一緒に家に赴き、半ば無理やり鞘だけを借り出した。 思ったよりも刀身は細く、作るのは明らかに難しそうだった。 「できるか?」 かなり心配そうな健の顔が真帆を覗き込んだ。 「やってやろうじゃないの」 あの枝なら、脇差込みで十分な長さはある。脇差は抜かない寸法だから、柄だけそれらしく作ればいいのだ。やはり問題は芝居の要でもある長剣の虎徹。上手くできるとは思えないが、ここで無理とは言うに言えず、虚勢であるが役者、ましてや主役には安心してもらいたかった。 春休みに入ったおかげで、真帆は小道具、虎徹の製作に打ち込めた。 振り回さないという条件付で、刀身そのものも健の父親から借り出すことに成功していた。さすがに舞台でこれを振り回すのだけはかたくなに断られたものの、製作する実寸法のものがあるとやはりいい。 ことあるごとに寸法は取れるし、比較もできる。 材料は木ではあったが、作っているうちにだんだん自分も刀鍛冶になったかのような気分も味わえる。 桜の枝は素直で加工性がよく、もともと枝の形状がよかったせいもあって、信じられないくらいスムーズに作りこまれていった。 太い部分を輪切りにし、鍔も作って柄にそれらしい装飾を施すと。 刀身は少し赤いが、鞘にすっぽり入る長剣が出来上がっていた。 「すごい!」 「うわー、こんなのできちゃうんだ」 春休みの最終日、できた刀を抱えて部活へとやってきた。今まで先生に無理を言って、木工室で一人夜遅くまで作業していた真帆は、ちょっとうれしくなってしまった。 刀身の赤さも、誰も気にしていないようだった。 確かに、自分で見てもかなりのでき。おまけで作っていたはずの脇差ですら、結局長剣並に手をかけて、こちらもこちらでかなりのできになっていた。 「本当、すごいな。真帆」 「あははー、ありがとう。じゃ、早速刺してみてよ」 衣装あわせをして、小道具チェックまできている。おのおの刀を帯びてみたが、やはり健の帯びる刀は、すべてが違った。 「こうしてみると、鞘のほうがダサいな」 それくらい柄自体の装飾もすごい。抜いてみると、木だから明らかに刀身は軽いのだが、鞘すべりはスムースだし、見た目の重量感は間違いなくあった。 「健さん、かっこいいな」 「わはは、本物みたいだよ」 健と刀をみな口々に褒め称える。 「ま、本番までに折れると困るから稽古中は新聞紙でいいよ」 使い勝手にも慣れておいてもらわないと困るのだが、確かに練習で使うには気後れするほどの出来栄えで、誰もが納得してしまった。 稽古中、舞台すみで真帆はあることに気がついた。そして刀の柄装飾を解きだした。 「なにやっているの」 監督兼その他裏方の部長がそれを見ていた。 「うん、そういえばこの刀。銘を入れるの忘れていたんで」 「あははー、凝るねぇ」 そういって覗き込んだ銘は、マジックでかかれていた。 「マジック?」 「だって彫っちゃったら強度が弱くなりそうだし」 確かに。そしてその銘にさらに驚いた。 「虎徹じゃないの?」 かかれている文字は「咲良」だった。 「うん、私の刀だからね」 「それなら『真帆』じゃないの?」 「やっぱり刀は屋号……?? じゃなくって、こういうやつかなって。それに」 倒れた桜。 ふと、外が気になった。確か開花宣言は出されたはずだ。満開ではまだないが、蕾はほころび始めている。 「部長、今度の通し稽古の後、お花見しましょう」 ああ、と気が付いたように真帆の笑顔に負けない笑顔で答えた。 「その刀つかって、一回通した後にね」 一度すべて本番どおりの道具で。 というわけで、通し稽古が始まった。 滞りなく進み、クライマックスでは健の台詞の後に刀を翻し、照明は赤くなり、暗転。 舞台上の役者も、脇の裏方にも、すさまじいまでの緊張感が漂っていた。こんなに凄みのある芝居になるとは。誰もが思った。 「この刀のおかげかな」 みんなが真帆の作った「咲良」を絶賛する。 すっかり日が暮れて、街灯がともり始める。桜の花だけが白くぽっかりと浮かんでいるようだった。 花見とはいえ、中学生の真帆たちは、酒を飲めるわけでも騒ぐわけでもなく、ただ桜の木の下での反省会だったのだが。 「本当はこの木だって、今ごろ」 花を咲かせていたはずだった。 真帆は静かに「咲良」を抜き、空にかざす。街灯の白い明かりをすかすと、よりいっそう赤く見えた。 「大丈夫だって。この木……『咲良』は、舞台で満開に咲くんだから」 うん。 小さくうなずいて、鞘に戻す。ほんの少しだけ、いままでよりも刀を重く感じたのは、きっと気のせいなのだろう。 いよいよ本番である。 舞台袖ではあわただしく、各部の紹介のための準備がなされていた。 基本的に舞台を幅広く使って何かをするのは、吹奏楽部と演劇部しかない。舞台装置うんぬんの問題で、吹奏楽部の後に一度休憩が入り、真帆たち演劇部は短いその時間内で準備しなければならなかった。 幕の下ろされた舞台裏はまさに戦場で、楽器と椅子、ひな壇を運び出そうとする吹奏楽部と、大道具などの舞台装置を設営する演劇部とでもう入り乱れていた。 役者ではない真帆は、あちらこちらに走り回り設営準備に追われていたが、役者の健はすでに役作りに入っているのか、刀を抱えて何者も寄せ付けない雰囲気をかもし出していた。今まで、刀からは多少の凄みを感じてはいたが、今日は健からもたとえようのない重さと凄みのオーラを放って、激しく、だが静かに時間が過ぎていくのを待っているように見えた。 あまりの凄みに誰も、真帆でさえ声をかけられない。雰囲気以外にも忙しさで。 突然健は立ち上がり、目の前の真帆を捕まえた。 「絶対、いい舞台にするよ」 そういった健は、凄みも迫力もない、いつもの柔和な雰囲気の健だった。が、それも一瞬で、背を向けた瞬間、刀に飲まれたように重いどす黒いオーラを身にまとって、舞台の上へと進み出ていった。 模造の一振りの刀が舞台の中心であった。それは誰の目から見てもわかるほどに。 まだ一度も抜かれていないのに、刀の凄みは鞘からすでにあふれていた。 たかが中学の部活動の芝居であるはずなのに、そして役者もへっぽこであるはずなのに、咲良がすべてを支配していた。舞台上だけではなく、観客すべてを巻き込む大きなうねりになって。暗幕で閉ざされた体育館内は、咲良の手中にある。 咲良を携える健は、いよいよクライマックスへと進み行く。 舞台は暗転し、健だけをスポットライトが照らす。 ゆっくりと音もなく咲良を抜いたところで、観客も役者も裏方も、そして真帆も全員が息を呑み、舞台上の咲良を見つめた。 「今宵のサクラは、血に満ちている」 真帆は思わず叫びそうになる衝動を覚えた。決めの大事な台詞が違う。明らかに。 だが、その事実に気がついたものは真帆のほかには誰もいないらしく、誰も不思議には思っていないらしかった。 構えた咲良は健が踏み込むと同時に振り下ろされた。 赤い照明。 切り替わるはずだった。だが、切り変わることは無く、だのに舞台は赤く染まった。 「幕だ!」 舞台真ん中で立ちすくむ健が我に返る前に、舞台袖の部長が一瞬早く叫んで、幕は下ろされた。 しばらく無音が場内を支配し、やがて拍手が沸き起こる。 観客席の盛り上がりとは裏腹に、幕の下ろされた舞台上では、とんでもないことがおきたと、騒然としていた。 外は拍手で満たされているため、幕の裏側の騒々しさは外部には漏れていないようだった。 舞台はスポットライト下では明らかに赤く染まっていたが、幕を引いた後に蛍光灯で照らされたそこは、赤くなかった。ただ、咲良からは雫が少量滴っていた。血のように粘る液体ではあったが、血ではない。刀身は血塗れたように赤かったが、刀身の赤さだった。 咲良を握ったまま座り込んでいる健に、真帆は真っ先に近づいて、咲良を奪った。濡れている。樹液で。 「健! 健!!」 「大丈夫か!? しっかりしろ」 咲良を手放した健は、放心状態を抜けて、ゆさぶられに反応してから我に返った。 「お、オレは……」 「大丈夫か、怪我は無いか?」 すそや上から見ていた裏方や役者は、健が返り血を浴びたように見えていたのだ。 血の跡なぞなにも無い。汗にしては多すぎるほど、着物は濡れていたのだが。 咲良を奪った真帆は、足を震わせてそこで座り込んでしまった。単なる模造刀でしかないはずの剣だったはずだ。 改めて見ても、木刀でしかない。でも、舞台で見せたあれは。 間違いなく、血でみち満ちていた。 ニセモノの虎撤というのが定説だから、咲良でもよかったの? 真帆はこっそりと咲良に問い掛けてみた。当たり前だが返事は無い。 嵐のような舞台は終わり、例年に無いくらいの入部希望者が殺到してきた。これもすべて、咲良のおかげなのか。あわただしさの中で、真帆だけはひっそりと、静かだった。周りもその騒ぎから抜け出そうとして、落ち着いてきた頃、真帆は健と部長を呼んだ。 「これ、燃やそうと思うの」 部長と健は驚いたが、真帆は本気だった。ずっと考えていたのだろう。 ゴールデンウィークを目前にした四月二十五日。 真帆は新緑の桜の木の下、部長と健の前で砕いた咲良に火をつけた。 舞い上がる灰は、季節はずれの桜吹雪のようだった。 さようなら、咲良。 樹齢三十五年の、まだ若い桜の木で、志半ばで打ち果てた。新旧の暦差はあっても、この日はおりしも近藤勇の命日でもある。だからこそこの日を選んだのだ。 灰は落ちることなく、天上に向けて舞い散っていった。
−−終わり−−
|