魔導の書

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 新しくホムラを戦いの仲間に加えたアイーシャとラウド。
 もっとも、アイーシャにはホムラに対する仲間意識など毛頭なかったのだが。
 それはともかく、まずは三人で一緒に寺院から出掛けることになった。
 昨日まで降っていた雪もやみ、冬晴れの空気は冷たいながらも凛として澄渡っていた。
 寺院が面している大通りでは露天商や大道芸人などが集まっていて、威勢の良い声が飛び交いかなりの活気を見せている。
 アイーシャたちはそちらには目もくれず、真っ直ぐに目的地へと向かう。
 その人だかりの中に、アイーシャの姿をじっと目で追っている者がいることなど気付きもしなかったのだが。
 一行はまずカント寺院にほど近い武器商店を訪ねていた。
 ホムラの装備品の調達のためである。
「今までの鎧で構わない」
 と言うホムラだったが、そこはラウドが押し切った。
 ホムラが身に付けていた鎧は鎖の輪っかを細かく編んで作られた、いわゆる鎖帷子だった。
 それも身体を覆っているのは上半身のみ。
 相手が夜盗か何かならその程度の防具でも十分なのだろうが、地下迷宮に出没する魔物相手となると、とても満足できるものではない。
 そこで、全身をカバーするフルプレートを購入することにしたのだ。
 料金の心配をするホムラだったが、アイーシャとラウドは寺院に直属している身分だし、商店側もそれは重々承知している。
 後で寺院に請求させれば良いということで説得し、ホムラもそれで納得した。
 更には大きめの鉄の盾も購入させた。
 これも、今まで剣での攻撃一辺倒でやってきたホムラは難色を示したが、アイーシャが頑として譲らなかったのだ。
「お前の役目は盾だ。それを忘れるな」
 アイーシャにそう言われてはホムラも折れるしかない。
 不服ではあるが、いい加減アイーシャの強情さにも慣れてきたところだ。
 結局、フルプレート、鉄製の盾、頭を護る兜、腕を護る篭手、そしてマント。
 剣以外の防具一式を買い揃えた。
 身体の大きなホムラに合わせてサイズを直すというので、受け取りは三日後ということで話はまとまった。
「防具ができたら地下迷宮だ。それまで気を抜くな」
 ホムラに対してあくまで抑揚のない声で、そう言い放つアイーシャだった。

 その後三人は街のメインストリートにある酒場へと向かった。
 パーティ結成の祝杯を、とラウドが言い出したからだ。
 しかしラウドの本当の狙いは祝杯を上げることでも、ましてや酒に酔うことでもなかった。
 いまだに仲の悪いアイーシャとホムラに、少しでも打ち解けてもらいたかったからだ。
 アイーシャもホムラもそれは分かっていたのだが、ここで意地を張っていても何にもならないだろう。
 二人とも、素直にラウドの提案に乗ることにした。
 酒場でブドウ酒を頼んで乾杯をした後は、ホムラはその見た目どおりよく食べ、そしてよく飲んだ。
 主にラウドが質問する形で少しずつ話を進める。
 酒の助けもあってか、ホムラはもちろんアイーシャもぽつりぽつりと語り始めた。
 アイーシャの話は、孤児としての生い立ち、寺院に来てからの暮らし、魔導の書をめぐる修行などに及んでいた。
 一方のホムラも貴族の三男坊として肩身の狭い思いをしてきたことや、田舎を捨て剣士として修業の旅に出たことなどを語った。
 ある程度酔いも回り、腹もふくれたところで頃合いや良しと見計らったラウドがお開きを宣言した。
 まだ十分とは言えないまでも、アイーシャもホムラもかなり打ち解けたと思われる。
 それまで「お前」とか「キサマ」とか呼び合っていたのが、ぎこちないながらもお互いに名前で呼び合えるようになっていたのだ。
 初日としては上出来だろう。
 三人はほろ酔い気分で寺院への帰路を歩いていた。
 ゆったりとした歩調で街角を路地へと曲がった、その時だった。
「そこの魔導師、覚悟ー!」
 何者かが突然アイーシャたち目掛けて襲い掛かって来たのだ。
 声の主は女と思われた。
 小柄な身体の襲撃者は、小脇に短剣を抱えるような姿勢で真っ直ぐに突っ込んで来る。
 かなりの速さだ。
 しかしホムラは動じることなく、身体を捻ってその襲撃者を難なくひらりとかわしてしまう。
 それでも襲撃者は止まらない。
 そのまま一直線にアイーシャ目掛けて突っ込んで行った。
「魔導師、死ねー!」
 襲撃者の狙いは、どうやらアイーシャ一人だけらしい。
 それでもアイーシャは冷静に、魔導の書第1ランクに属する魔法カティノを唱えた。
 今は魔導の書を持参してはいなかったが、ランクの低い魔法なら魔導の書無しでも簡単に発動式を口にし、魔法の効果を引き出せる。
「あれっ、あ・・・」
 カティノの魔法が発動し、その影響で眠りに落ちる襲撃者。
 冬の夜の路地裏にバタリと仰向けに倒れてしまった。
 その寝顔を見れば、まだどこかあどけなさの残る10代の少女であった。
「大丈夫かいアイーシャ?」
「ああ、なんともない」
 一瞬ヒヤリとしたラウドだったが、アイーシャの返事にホッと安堵する。
「一体何なんだ、この小娘は? おいアイーシャ、お前コイツに命を狙われるようなことでもしたのか?」
「私は何も知らぬ。それよりも・・・」
 アイーシャはそこで一旦言葉を切ると、スタスタとホムラの目の前へと歩いて行った。
 自分よりも頭一つ分高いところにある顔を見上げるアイーシャ。
 いやその表情は、睨み付けるといったほうが正しいだろう。
「な、なんだよ・・・」
 不審に思ったホムラがそう口にした瞬間、パシーンと乾いた音が辺りに響き渡った。
 アイーシャがホムラの頬を張ったのだ。
 突然の出来事に、何が起こったのか理解できないホムラ。
 しかしすぐに状況を把握する。
「突然何をするんだおま・・・」
「何故避けた!」
 ホムラの抗議の言葉をかき消すような、アイーシャの叫び。
 その声にホムラはもちろん、じっと様子を見ていたラウドもビクリとなってしまう。
 アイーシャがこれほどの大声を上げるのは、ここしばらくのラウドの記憶にもなかったことだ。
「何故避けた? 何故あの娘の襲撃を受け止めなかった?」
 再び発せられたアイーシャの声は、いつもの低くて冷たいものに戻っていた。
「何故避けたかって、そんなのは当たり前だろう。いきなり襲われたら避けるのは当然のことだ」
 我に返ったホムラは、自分の行動の正当性について主張する。
 その内容は、しごく当然のことのように思えたのだが、アイーシャは納得しなかった。
「ホムラよ、私がキサマに何と言ったか、もう忘れたのか?」
「それは・・・『俺はお前の盾』だとか何とか・・・」
 そこまで口にしてホムラもハッと思い当たった。
 アイーシャは初めて会った時から、そして武器商店でも、ホムラに盾であることを要求し続けていた。
 敵が襲ってきた時、盾は決して逃げてはいけない。
 攻撃を受け止め、後ろにいる者を護らなければならないのだ。
「しかし・・・」
 ホムラは今一つ納得できない。
「あの程度の攻撃、お前だって簡単に避けられただろう。何もそんなにムキにならなくても」
「ああそうだな。だがしかし、あれが巨大な蛮刀を持った賊だったとしたら? 鋭い爪を持った魔物だとしたら?」
「それは・・・アイーシャ、お前も危なかったかもな。だが・・・」
「ホムラ、もう一度思い出せ。我々が戦う理由は何だ? 何のために地下迷宮に下りて魔物相手に戦っていると思っているんだ?」
「それは確か・・・お前が持っている魔導の書だろ」
「そうだ。我々は魔導の書の力を引き出すための修行として、日々戦っているのだ」
「それがどうしたって言うんだ?」
「まだ分からないのか? 私が死んでしまったら意味がないのだ。
 ホムラよ、たとえキサマが生き残ったとしても私が死んでしまったらどうなる? 魔導の書は誰にも扱えないただの本になってしまう」
「それは・・・」
「まだ実際に地下迷宮に下りたことがないからピンと来ないかもしれない。だがしかし、あそこでは一瞬の気の緩みが死に繋がることもあるのだ。それを忘れないでくれ。
 私は先に行く。ラウド、その娘のことは任せた」
「ああ」
 アイーシャはそこで話を打ち切ると、もう後ろを振り向くことなく寺院への帰路を歩み始めた。
「分かってやってくれ、とは言わないけどね。もう少し彼女のことも考えてやってくれないかな」
「俺は考えているつもりだがな」
 ラウドの頼みにブスっとした声で答えるホムラ。
「魔導師は魔法を発動させる時に、全神経を集中させなければならない。当然敵の攻撃に備えることなんかできない」
「だから盾が必要だってか。俺の役目はその盾代わりだと」
「それに・・・実際問題、もしもアイーシャが命を落とすようなことがあったらホムラ、君自身もその瞬間に失業だ。や、ひょっとしたら寺院の怒りを買って首を刎ねられたりとか・・・」
「おいおい、冗談はよせ」
「ふふっ。冗談かどうかはさて置き。アイーシャはいつも真剣だ。それだけは・・・」
「ああ、分かった。ところで、コレ、どうする?」
 ホムラがいまだ意識を失ったままの襲撃少女を指差す。
「そうだね、この娘にはアイーシャを襲った理由なんかも聞かなきゃならないし。まずは寺院で保護、かな」
「なら連れて行こうや。俺が運んでやるか」
 少女をホムラの背中に負わせると、男二人はアイーシャの後を追って歩き出した。

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