魔導の書

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 アイーシャたちは地下迷宮の第4層で戦い続けていた。
 もっと下の階層へ出向き、更に凶悪な魔物と戦ったほうがアイーシャにとっては修行になるのだが・・・
 まずはホムラとエアリーである。
 二人の技量や体力、精神力が伸びるまではと、ラウドが抑制していたのだ。
 二人はひたすら辛い戦いに挑み続けた。
 ホムラはアイーシャの前に立ち盾としての役割を果たし、エアリーもまた変幻自在の動きからの攻撃を身に付けていった。
 アイーシャもまた、魔導の書の基本からのおさらいの意味を込めて、第3から第4ランクの魔法を集中的に扱った。
 ホムラが仲間に加わった当初は、アイーシャとの仲もどこかぎこちなかったものだが、今では二人の間に信頼関係のようなものができつつあった。
 アイーシャにしてみれば、ホムラが盾となって護ってくれることで、安心して魔導の書に集中できる。
 またホムラにしてみれば、自分がアイーシャを護りさえすれば、あとはアイーシャの持つ魔導の書の力で魔物を一掃できるのだ。
 それに加えて、魔物との戦いの後に見つかる宝箱からは、良質の品が見つかることも頻繁にあった。
 魔法の発動式を記した巻物や治療薬などの他にも、各種武具なども発見されていた。
 ホムラ用の鎧やエアリー用の短剣などだ。
 どちらも、それまで使っていたものよりも、良質かつ強固なのもで、戦いを更に楽なものへと導いてくれる。
 ラウドはそんな三人の戦いぶりを頼もしく思っていた。
 
 そんな日々が数週間ほど続いた、ある日。
「ホムラとエアリーもだいぶ慣れたみたいだね。そろそろ地下9層まで下りてみようか」
 まるで「散歩にでも行こうか」と言わんばかりの、のんびりとしたラウドの口振りである。
「待ってました! あたい、早く下へ行きたかったんだよねえ」
 元気良く手を挙げながら応えるエアリー。
 そしてホムラも
「ああ、構わないだろ。ラウドに任せた」
 自信満々に応えた。
「二人とも、ずいぶん余裕だな。だが第9層はそんなに甘くないぞ」
「大丈夫だよアイーシャ。あたいもホムラもそのために頑張ってきたんだからさ」
「そうだな。それに俺はアイーシャの前に立ってれば良いんだろ? あとは何が出て来てもアイーシャが始末してくれる。違うか?」
「それはその通りだが・・・」
 余裕の表情を見せるエアリーとホムラに、むしろ不安を感じるアイーシャだった。
「二人ともそれだけ成長したってことだよ。初めて地下迷宮に下りた時は、あんなに緊張してたのにねえ」
「それは言わないでよラウド。誰だって初めての時は緊張するでしょ?」
「それもそうだよね。それじゃあ今日から地下迷宮第9層で戦うということで」
「異議なーし。さっ、早く行こう」
 妙なテンションで盛り上がるエアリーはさっさと行ってしまった。
「ったく、本当に大丈夫なんだろうな・・・」
 アイーシャは先を歩くエアリーの後ろ姿を、不安な思いを抱きながら見つめていたのだった。

 地下迷宮第4層から更に下層へ移動できるエレベーターが設置されている。
 例によって誰が何のために設置したのか、どんな動力で稼働しているかなど分かっていないことが多いのだが・・・
 そんなことは、アイーシャたちにはもはやどうでもいいことだった。
 ただ便利だから使う、それだけだ。
 エレベーターを利用すれば、第5層から第9層まで自由に出入りできる。
 しかし途中の5層から8層に立ち寄ることは、今となってはほとんどなかったのである。
 何故なら、それらの階層は意外と複雑に入り組んでいて迷いやすいからだ。
 またそこに出没する魔物も、第4層で見られるものとほとんど変わらないことが判明していた。
 当初こそそれらの階層の探索に乗り出すこともあったが、今ではよほどのことがない限り、立ち寄る必要もないと思われる。
 やがて、一行を乗せたエレベーターが第9層に到着した。
 周囲の様子を確認しつつ、慎重にエレベーターから出る。
「さて、ここが第9層だよ。最下層と言っても良いかな」
 ラウドが簡単に説明する。
 初めてこの階層に来た二人は、何が出るのかとしきりに視線を辺りに走らせていた。
「通路の左右に扉が一枚ずつあるよね。でも、左側の扉はどうしても開かないんだ」
 ラウドが説明すると、エアリーがどれどれと扉を調べ始める。
 ガチャガチャとノブを回したりドンドンと叩いたり。
「ダメだこりゃ。鍵穴もないんじゃどうにもならないね」
「何か開ける方法があるんじゃないのか?」
「イロイロ調べてみたんだけどねえ。通路をぐるっと回ってこの扉の反対側まで行ったりとかしたんだけどね」
「扉はあったが、それも開かなかったな」
 その後も四人でこの扉について話し合ったが、結局どうもならないという結論にしかならなかった。
「エアリー、もうそんな扉なんかどうでもいいだろう。私たちの目的は魔導の書だ。魔物と戦って修行が積めればそれで良い」
「だね。アイーシャの言う通りだ。開かない扉のことなんて考えるだけ無駄だよ」
「はぁい」
 アイーシャとラウドに諭されて、つまらなそうに返事をするエアリーだった。
「んなら反対側の扉を開けるか?」
 ホムラが問題の扉と通路を挟んで反対側にある扉に手を掛けた。
 無言で頷くラウド。
 その表情が一瞬にして引き締まったことから、この先に魔物がいるであろうことが予想される。
 ホムラとエアリーはもちろん、アイーシャにとっても久し振りとなるこの階層での戦いに対する緊張感に、じっと息を飲み込んだ。
 自らの呼吸を整えてからホムラが静かに扉を押し開けた、その瞬間。
 開けた扉の隙間から、強烈な熱気が通路まで噴き出してきたのだった。
「なっ!」
 これはただ事ではないと、慌てて扉を閉めるホムラ。
「何だったんだ、今の熱は?」
「まさか・・・アイツがいるのか?」
「だね。間違いないよ」
 深刻な顔で頷き合うアイーシャとラウド。
「あいつって?」
 それに対して、訳が分からないとばかりにきょとんとしているのはエアリーである。
「エアリー、落ち着いて聞け。この扉の向こうにファイアードラゴンがいる」
「ファイアードラゴン! それって確か・・・」
「ああそうだ。ウェインを殺したのと同じヤツだ」
「お姉ちゃん・・・殺した・・・」
 全身をガクガクと震わせ、視線もどこか虚ろになるエアリー。
「どうするよラウド、ヤバいヤツなんだろ?」
「もちろん、かなりの難敵だよ。でもアイーシャ、いけるよね?」
「任せろ。ホムラ、頼むぞ。
 ヤツのブレスはガスドラゴンのものとは桁が違うが・・・耐えられるな?」
「ああ、何とか凌いでみせるさ」
「上等だ。ホムラが盾になっていてくれれば、あとは私が・・・」
「待って!」
 アイーシャの言葉を遮って突然叫ぶエアリー。
「お願いアイーシャ、アイツはあたいに倒させて」
「エアリー、どうした?」
「お姉ちゃんの仇を取りたいんだ。だから」
「落ち着けと言ったはずだぞエアリー。とにかく冷静になるんだ。
 ウェインを殺したファイアードラゴンは、あの時私が仕留めた。今ここにいるのは種は同じだが別の個体だ。仇打ちなど意味がない」
「でも! お姉ちゃんはアレに殺されたんでしょ? あたい、あたい・・・」
 感情を抑えきれないエアリーの目に、大粒の涙が浮かぶ。
 それを見たアイーシャも、あの時の記憶が鮮明に蘇っていた。
 ファイアードラゴンの吐く紅蓮の炎。
 護ってくれるはずの剣士は逃げ出し、ウェインはその直撃を受けたのだった。
 もしもあの時、魔導の書を扱う担当がアイーシャ自身だったなら・・・
 今この場にアイーシャは立っていなかっただろう。
「仇打ちなど意味がないぞ、エアリー。それを言い出したら私なんかは・・・」
 アイーシャはそこで言葉を飲み込んでしまった。
 今まで魔導師として戦い続けてきたアイーシャは、数多くの仲間の死を見てきたのだった。
 共に寺院に拾われた魔導師の卵たちや、魔導師の前に立ち魔物の牙にやられた剣士たち。
 今となっては名前も思い出せないような者も多かった。
 数限りない死を見てきたアイーシャだったが、あえて冷静に振る舞うことでそれらを乗り越えてきたのだった。
 決して感情的にならず、割り切るところはきっぱりと割り切る。
 そうしなければ、とても自分を支えられなかったからだ。
「分かってやれよアイーシャ。エアリーはお前とは違う。それに姉貴のこととなれば冷静になれというほうが無理だ」
「しかしだなホムラ。今のエアリーはあきらかに冷静さを欠いている。そんなことでは・・・」
「いつもの冷静さを欠いているのはアイーシャじゃないのか。大丈夫だ。落ち着いていこう」
「分かった。あとはラウドの判断に任せる」
 ホムラに説得されて、アイーシャが折れた。
 思えばホムラとコンビを組んでからずいぶんと素直になったものだと、ラウドは感心していた。
「それじゃあエアリー。思うままに、存分に戦ってみなよ」
「いいの?」
 エアリーの顔がパッと輝く。
「うん。だけど、アイツに一人で挑むのは無謀だね。アイーシャ」
「ああ。私たちで援護はするから、とどめはエアリーが刺せ」
「うん! ありがと、二人とも」
「話は決まったな。なら、扉を開けるぞ」
 ホムラが再度扉に手を掛け、中の様子を窺うようにゆっくりと押し開けた。

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