2003年ミラノALS/MND国際会議参加、報告第1弾
  

実は、国際会議に患者の発言する場所なんかないんです(=疎外感に挑戦!)。
私は日本ALS協会(JALSA)を通じて、今年の四月よりテーマをピアサポートとし、発表意志を示しました(註:実作業は七月より)。
ところが、九月に協会から聞かされ返事は、メールによる理由不記載の"英国際会議本部"の「却下」という結論だけの、通達文だったのです。
後は無しのつぶてです。

さて、皆さんならそんな場面に出くわした時、如何な行動を起こしますか?

     1.黙って受容
     2.日本の協会を通じて再考要請
     3.英本部に直訴

私の選択はBでした。
なぜならそれが、一番自分らしくあり、且つ結論に納得出来ると思ったからです。

結果、いく度かのやり取りの末、不確約ながらもショートスピーチの時間がもらえる約束を得ました。
その後予測し得るJALSA(日本ALS協会)との軋轢を覚悟で。
でも、殆んどのJALSA理事の方達は、私の行為に対して好意的であったと思います。

が、基本的には"英本部"の意向に重きを置く。
これは組織としては当然です。
それでは軋轢を生む英本部の意向とは、何なのでしょう。

実は、私のような一般患者では知り得ない、方針のようなものがあったのです。
それは

「会議は組織の活動を討議する場であり、個人の活動を発表する場などではない」
といったものです。

故に当り前の事として、私の個人活動としての私的スピーチに関しての通訳等の、JALSAからの表立っての援護射撃は、組織活動に該当せず無いものとなったのです(実際は水面下での、著名な翻訳家YM様の、強力なご協力があり、私のスピーチは実現致しました。多分私の交渉だけでは、実現は無理でしたでしょう。そのくらいに、無肩書きの患者の存在は卑小であり、参加並びに傍聴に意義を見出さない限り、疎外感が湧き上る事でしょう。)。

その為私は遺憾ながらリスク予測を鑑む拡大解釈の上で、私の介護メンバーに次の連絡をせざるを得ませんでした。

◆通訳さんについて
基本として私どもの通訳さんは、翻訳家の川村社長並びに、川村事務所手配の通訳さんです。
緊急時あるいは、先方からの申し出がない限り、協会の通訳さんに、通訳を依頼する事は出来ません。
その為、患者の個人的交流活動とみなされている今回の私のスピーチは、川村社長に代読をお願い致しました。

皆さんにおかれましては、躊躇する事なくご自分の表現方法で、言葉の壁にトライする事をお勧めします。
素晴らしい経験となります。宜しくお願いします。【舩後】

私はメンバーに苦労をかけながらも、自分の思いすなわちスピーチ実現のの為に必死でした。
では、その原動力とは何だったのでしょう。
それは昨年のメルボルン国際会議にて抱いた、ある感想が土台にあります。
紹介します。

◆2002年国際会議行動記より
『行く末の明らかな患者に対する解答は、不偏であり議論の余地は無く、それを言い伝える人こそが主体であり、澱みなく解答を伝えるための訓練を要する。』

つまり
「ALSとは間違いなく死に至る病気だから、如何に安らかなる死を患者にもたらすかが肝要である。そしてその役割を担う者こそ、ALS界の主役である」
と言う訳です。

その時私は思いました「もし来年ミラノ国際会議に来るならば、患者として何かを主張しなければ!主体は患者のはずだから!!」と。
そして私は、日本ALS協会を通じて、四月より発表意志を示しました。

【続く】