陣門・組打 露わな父親の嘆き 2003.6.7 | ||||||||||
5日、歌舞伎座昼の部に行ってきました。
「陣門・組打」のあらすじ 血気はやって単身攻め込む小次郎。後からかけつけた熊谷に平山は「止めたが一人で攻め入ってしまった」と告げる。それを聞いて熊谷も陣内に攻め込むが、まもなく手傷を負った小次郎を小脇に抱えて出てくる。やがて白馬にまたがった若武者、無官太夫敦盛が陣内から姿を見せる。 一方敦盛の妻、玉織姫は敦盛を探しあるいているうちに敵の平山に出あう。平山は前々から玉織姫に横恋慕していたので、自分のものにしようとするが、姫はあくまで抵抗する。「さっき敦盛を討ち取った」と平山が言うのを聞いた姫は「夫の敵」と切りかかるので、手を焼いた平山はとうとう玉織姫を刀で刺して岩陰に投げ込む。 須磨浦浜辺組打の場 熊谷が組み敷いた武者は我が子、小次郎と同い年くらいの若者。その若さを惜しんだ熊谷が「この場をおちのびるように」いうが敦盛は聞き入れない。そのうち様子を後方から見ていた、平山が「敵の武将を逃がすのは二心があるからだ」と叫ぶので、致し方なく熊谷は敦盛の首を打ち落とし、悲痛な勝鬨を上げる。 熊谷は二人の遺骸を板に載せて海へ流し、敦盛の鎧兜を馬の鞍へつんで悄然と自分の陣へと引き上げるのだった。 「一谷嫩軍記」の「陣門・組打」は「熊谷陣屋」の前段にあたる部分で、しょっちゅう上演される「陣屋」とちがってあまり上演されない場面ですが、いかにも歌舞伎らしい美しさがあって、私の大好きな出し物のひとつです。 敦盛の乗る白馬と朱色の母衣(ほろ:馬に乗る時後ろにつける吹流しのような目印)、熊谷の黒い馬と紫の母衣。その二人の乗る馬が海に入って波間を行く様子。遠見の子役がホニホロ(馬に乗っているようにみせる為、ウェストにつける馬の首と尻尾のついたもの)で戦う有様。 主を失った敦盛の白馬がトボトボと花道を引っ込んでいく姿。そして熊谷と敦盛が奈落からせりあがってくるまさに錦絵のような場面。 白と黒、二頭の馬がそれぞれ鎧兜に身を固めた熊谷と敦盛を乗せて花道を走っていくのは壮観です。この「一谷嫩軍記」は人形浄瑠璃でも見ましたが、この場面は圧倒的に歌舞伎の方が素晴らしいと思います。 後に「陣屋」で明らかになるように、この場で熊谷が首を討つのは実は熊谷の子、小次郎なのです。義経は後白河院の胤である敦盛の命を惜しんで、制札を立てて「小次郎を身代わりにするように」と暗に指示したのです。直実にとっても敦盛は恩人である藤の方のお子なので、断る事はできなかったわけです。 しかしながら「組打」ではそのトリックを、はっきりとは見せないように演じるのが慣わしだそうです。ですが幸四郎は、あくまで殺すのは我が子小次郎として演じているように見えました。 それは例えば陣門で討ち入った小次郎を追って平家の陣に入り、小次郎を抱えて出てくるところなど、自分がかぶっていた兜を小次郎(もう敦盛に入れ替わっている)にかぶせているので顔は全く見えないのに、ことさらに小次郎を平山武者所から隠そうとするところなどに現れます。 いざ首を切ろうと言う時の逡巡は自分の子供を殺さねばならない苦しみ、首をはねた後流す涙も自らの手で我が子を殺してしまった親の嘆き以外の何ものにも見えなかったと思います。 確かに通しで演じられる場合は、今しがた見た歴史的な事件が、次の「陣屋」でアッと驚くような種明かしをされると言うことが大事なのだと思います。「組打」で熊谷の悲しみが抑えらていればいるほど、「陣屋」での衝撃は大きいでしょう。 しかし今回のように、「陣門・組打」だけが演じられる時は、熊谷の親としての心情が剥き出しに演じられても、それはそれでよく理解できると思います。人間としての苦悩を前面に押し出した熊谷でした。 染五郎の敦盛(実は小次郎)は品がよく、あくまで敦盛として最後まで演じるので、嘆き苦しむ熊谷と対照的。染五郎はこの後、「棒しばり」でも勘太郎とコミカルな踊りを楽しく踊って今月も好調です。 平山の錦吾は脂ぎったような感じをだしていたのが平山の卑劣で好色なところにあって良かったです。 他には「葛の葉」を雀右衛門が早替わりや曲書きで熱演しました。しかしやはり子供を右腕だけで抱き上げると言う事が出来ないので、「左手で書かなきゃならない」という曲書きの意味があまりないような気がしました。 狐にもどった葛の葉が寝ている子供に別れをつげるところで、ひざをついて片足を横に少し上げて狐手で決まった姿が、印象的でした。葛の葉の狐言葉は狐忠信ととてもよく似ています。雀右衛門は狐言葉を文楽の豊竹山城少掾にならったと筋書きにありました。 道行はなくて、スッポンから登場した葛の葉の幕外の引っ込みでお終いになりますが、この時夫や子供と離別しなくてはならない狐、葛の葉の悲しささびしさを雀右衛門は全身であらわしていて、さすがです。 最後は玉三郎の「藤娘」。六代目が考案したと言う、真っ暗な舞台が急に明るくなって藤の花がからんでいる大きな松の木が出る演出ではなくて、幅の広い銀の屏風に紫と白の藤を書いたものを左右に一枚ずつ、中央奥に一枚配置するという新演出。玉三郎らしいすっきりとして洗練された演出でした。 朱と萌黄の片身替わりの着物が良く似合っていて惚れ惚れしましたが、なぜかこの時の玉三郎はとても美しいけれど憂い顔にみえました。藤の精というこの世のものでないものだということを表現する為なのでしょうか。 |
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この日の大向う | ||||||||||
とてもたくさん掛け声を掛ける方がいらっしゃいました。大向うの会のかたも3人位いらしたようです。 一番多い時は、一度に10人くらいの声が掛かりましが、そうするとやはり「ここ!」と言う時より前に掛ける方も多くて、団子状態になってしまい、あまりきれいではありません。 陣門組討の悲壮な場面で、やけに明るいはっきりした声で「高麗屋」と掛かったのにはガックリきました。あの声を掛けた方は、掛けるきっかけだけに注意していて、お芝居そのものを全然見ていないのではないかと思ってしまいます。 お芝居の気分を壊さないように気をつけ、悲しい場面にはそれなりの声を掛けるように考えていただいたいものです。 それと「棒しばり」で連舞の時に、「ご両人」と声が掛かりましたが、立役同士でも「ご両人」とかけてかまわないということです。 |
壁紙:「まなざしの工房」 ライン:「和風素材&歌舞伎It's just so so」