蓮絲恋慕曼荼羅 国立劇場の新作 2007.3.22 W181 | ||||||||||||||||||
19日、国立小劇場で「蓮絲恋慕曼荼羅」を見てきました。
「蓮絲恋慕曼荼羅」(はちすのいとこいのまんだら)のあらすじ その後豊成卿は、豊寿丸(ほうじゅまる)という男の子をもうけていた照夜の前を後ぞえに迎える。初瀬は美しい娘に成長し、宮中で琴を演奏しその素晴らしさのため「三位中将の内侍」の位をさずけられ、中将姫と呼ばれるようになる。 照夜の前はそんな初瀬が妬ましく、憎らしくてたまらない。一方義弟・豊寿丸は初瀬を姉としてではなく女として恋焦がれしつこくつきまとっては、初瀬を困惑させていた。今日も豊寿丸の待ち伏せをさけ裏門から屋敷に入ろうとした初瀬は、それを予期した豊寿丸につかまってしまう。 乳母の月絹を追い払った豊寿丸は、あくまでもやさしくいさめる初瀬に強引に言いよって押し倒す。だが通りかかった照世の前にそれを見られた豊寿丸は、自分の髪を乱し袖を破いて、姉が不義をしかけたと訴える。それを聞いた照夜の前は初瀬の髪の毛をつかんでひきずりまわし、思い切り打ち据える。 そこへ豊成卿が戻ってきて、照夜の前からこの場の様子を聞くと、母親が犠牲になってまで観世音から授かった子なのにその所業は断じて許せないと怒り、初瀬を斬り捨てようとする。しかし月絹とその夫・国原将監らが必死にとめるので、照夜の前のいうとおり雲雀山にある庵室へ姫を追いやることにする。 照夜の前はこの機会に乗じ、初瀬を亡き者にしようと家来の松井嘉藤太に初瀬の護衛を命じ、途中で暗殺するよう言う。雲雀山についた初瀬は嘉藤太に月絹だけは助けてくれと頼み、自ら進んで斬られようとする。しかし嘉藤太はどうしても初瀬を切ることができない。 そこへ豊寿丸が初瀬に似た女の首をもって現れるので、ひとまずその首を嘉藤太が持ち帰り、照夜の前に差し出すこととする。初瀬は豊寿丸が自分のために何の罪もない人を殺めたことを知って苦悩する。 照夜の前は首を見て一安心するが、一部始終を見ていた修験者の密告でそれが贋首だと知る。豊寿丸は、初瀬を護るため雲雀山に引き返そうとする嘉藤太を斬り殺し、密告した修験者も斬る。だが修験者は死ぬ間際、照夜の前が初瀬殺害を企んでいることを将監に打ち明ける。 いそいで初瀬のもとへ戻った豊寿丸は、納戸へ初瀬を隠す。やってきた照夜の前は打ち掛けを頭からかぶって納戸から出てきた人物を初瀬と思って刺し殺す。だが打ち掛けを取ってみるとそれは女装した豊寿丸だった。 そこへ豊成卿も到着し、初瀬に疑ったことを侘びる。最愛の息子を我が手で殺してしまった照夜の前は谷に飛び込み自殺する。月絹と共に庵室に残った初瀬は自分を責めるが、そんな初瀬の前に亡き母・紫の前の幻があらわれ、百駄の蓮を集めて糸をつむぎ曼荼羅をおるようにという。 我に帰った初瀬のそばには母が手にしていた蓮の花が一輪残されていた。絶望にうちひしがれていた初瀬は曼荼羅を織って亡くなった人々の霊をなぐさめようと、一筋の希望を見出すのだった。 国立劇場開場40周年記念公演の最後は、40周年記念脚本募集入選作の森山治男作「蓮絲恋慕曼荼羅」(原題は「豊寿丸変相」)。この作品は日本仏教史上有名な中将姫伝説を元にして書かれています。 当初、澤瀉屋一門だけで行われる予定でしたが、演出を依頼された玉三郎がこの初瀬という役を大変気に入り自ら演じることになり人気沸騰で、チケットは即日完売。演出に石川耕士も加わり、大部分が新調されたという品の良い色合いの美しい衣装なども含めて、すみずみまで玉三郎の美意識がいきわたり洗練された舞台となりました。 小劇場の奥へ行くほど少しずつ高くなるような傾斜のある舞台の両側に、数枚のパネルが間隔をあけて設置されていて、それが大道具の全てでした。草木染を思わせる何色かのパネルが場が変わるたびに両側から引き出され、それに照明が加わって雰囲気を作っていました。 これは原作通りに場面転換を行うのがとても困難なことから考えられたものだそうですが、シンプルなだけに役者の演技に観客の意識が集中。音楽も琴と琵琶と笛が静かに流れる程度でひかえめでした。 玉三郎はまだ十代という若い初瀬を初々しく演じました。不義の汚名をきせられ、信じていた父にも誤解され、それでも皆が傷つかないように非を一身に背負うところでは、初瀬の心の動きが手に取るようにわかり、魂の気高さが表れていた初瀬でした。 継母・照夜の前を演じた右近は、今まで何の役を演じても右近らしさという殻を破れない人だと思っていましたが、サディスティックな継母という役を演じて、この殻が壊れたのを感じました。とても迫力があり間のよさを感じる演技で、最後に自分のあやまりから最愛の息子を刺し殺してしまった悲しみもよく理解できました。これからも立役にこだわらず、いろいろな役に挑戦してほしいものです。 初瀬の義弟・豊寿丸の段治郎も16歳?という年齢に違和感はなく、立ち姿もすっきりしていて美しい貴公子ぶりでしたが、初瀬に罪をなすりつける卑劣な行動がいかにも唐突でした。段治郎の豊寿丸では、正直に自分が恋をしかけたのだと父親に言ってしまいそうな感じです。 段治郎はこの役について、「人を殺したり嘘をついたりどろどろした修羅場をさまざま演じますけれども、本当は一貫して魂は清い人なのではないかと思います」と筋書きに書いていますが、この人物の解釈は一筋縄ではいかないように思います。初瀬の身替りとなって実母に殺されるときも、まさか母が自分を殺すとは思っていなかったのではという感じをうけました。 しかしあえてどろどろした部分を深く追求せず、さらっと演じているように見えたのは、演出の意図するところだったのかもしれません。「豊寿丸変相」という原題が示すように作者の一番書きたかったのは豊寿丸だったのでしょうが、玉三郎が主演したことで中将姫の方に中心が少しずれたのかなと思いました。最後の場で、段治郎は純朴な村の青年となって再登場。人気役者を死んだままにせず気分良く幕にするという、いかにも歌舞伎らしい手法がとられていました。 乳母・月瀬の笑三郎は初瀬が出るときはほとんど一緒に出る重要な役どころで初瀬とまわりの人びとの間の緩衝材。笑三郎は当日上演前に行われた対談で「月絹はピンポン玉のような存在」と話していましたが、存在感のある月絹でした。 初瀬の夢に出てくる母・紫の前の春猿はほんの短い出番ながら、初瀬の母としての品格も夢のような美しさもあって印象に残りました。初瀬を殺すことを命じられながら、初瀬の味方になろうとする武士・松井嘉藤太の猿弥も役にぴったりでした。豊成の門之助は立派な押し出しでしたが、この人物はもっと凡庸で愚かであって良いようにも思います。 夢に見た母の言葉から絶望の中に光を見出す初瀬、その明るいラストがこの芝居を後味の良いものにしていました。正味2時間20分という上演時間でしたが、冗長だと感じるところがなく、観客も固唾を呑むように舞台に見いっていました。 |
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この日の大向こう | ||||||||||||||||||
今回の公演はチケットが売り切れのうえ、消防法が厳しくなったため後ろに補助椅子を出したり、立ったりすることができなくなったためか、大向こうの会の方たちはどなたもいらしていませんでした。 それにほとんど台詞だけで音楽もわずかに聞こえる程度のこのお芝居には、掛け声はあわないように思いました。カーテンコールが3回ありましたが、その間も拍手だけで一般の方からも声は全くかからなかったようです。 |
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国立小劇場3月演目メモ | ||||||||||||||||||
「蓮絲恋慕曼荼羅」 玉三郎、段治郎、右近、笑三郎、春猿、猿弥、門之助、寿猿 |