出刃打お玉 池波正太郎作品 2006.12.29 | ||||||||||||||
21日、昼夜通しで歌舞伎座の公演をみてきました。(夜は9日も観劇)
「出刃打お玉」のあらすじ するとお玉が投げつけた小型の包丁が新助をかすめて柱につきささる。お玉は以前出刃打の曲芸を生業としていた女だったが、新助と深い仲になって一座を逃げ出し、そのあげく新助が博打で作った借金のために身を売るはめになったのだった。お玉は新助に「昔のことは忘れてその一両で養生するように」と諭す。 新助と和尚が帰ったあとに、笊売りの男がお玉の部屋の窓からのぞきこむ。恥かしげにお玉を買いたいというので部屋にあげると、男は増田正蔵と名乗り昔は武士だったと語る。男は有り金残らずお玉に渡し、死ぬ身に金はいらないと言い出す。 その夜、すっかりお玉に心を許した男は酒を飲みながら、身の上を語りはじめる。正蔵は信州の出で、父の仇を討つために江戸へ出てきたが、敵を見つけたものの相手は剣術の達人なので、返り討ちにあうのは目にみえている。そこで最後の思い出にお玉を買いにきたというのだ。お玉は優しく正蔵の話しを聞いてやるのだった。 入谷正覚寺裏百姓家の裏手 するとどこからか包丁が飛んできて、藤十郎の目に突き刺さる。すかさず正蔵は止めをさし仇討をなしとげる。お玉が正蔵の身を気遣って助太刀したのだ。お玉は自分が仇討に関係したことは内緒にするように言い、嬉しげに別れをつげて去っていき、正蔵はお玉に感謝し涙を流す。 そこへうら若い娘・おふさが連れられてくる。今日ここへやってくる客は商売女に飽きて、素人娘を望んでいるというので、両親が病気でお金が必要なおふさが呼ばれてきたのだ。お玉は庭の片隅でその様子を見ていた。 その後から桔梗屋に案内されて羽振りの良さそうな一人の侍がやってくる。その侍こそ、28年ぶりに会う増田正蔵だった。かって純情そのものだった正蔵は、好色で俗悪な中年男となっていた。 酒を飲みながら桔梗屋に、かっての仇討をまるで自分ひとりで討ったかのように自慢する正蔵。おふさはこの男の相手をするために呼ばれる。 すっかり満足した正蔵が酒を飲んでいるところへ、庭からお玉が声をかけ、さきほど仇討の自慢をしていたことをからかう。正蔵はお玉など知らないといいはり、お玉を殴りつけそそくさと立ち去る。お玉は怒りに燃えて酒をあおる。 しかし家来がお玉を手にかけようとすると、正蔵はそれを止める。「身から出たさびだ」とつぶやきながら正蔵は家来とともに去っていく。お玉は「ざまあ見ろ!」と快哉をさけぶが、お玉が犯人と知りながらも家来に切れとは言わなかった正蔵に、かっての純情な青年の俤を見て、懐かしげな目でその後ろ姿を見送るのだった。 池波正太郎作「出刃打お玉」は昭和50年に、当代菊五郎の父・梅幸によって初演されました。この作品を皮切りに池波は「江戸女草紙」というサブタイトルでさらに二作品を梅幸のために書いています。お玉には池波の青年時代の思い出が投影されているということです。(筋書きより) 若いときは軽業で出刃包丁を投げていたという過去を持つ、ぬけるように色が白くふくよかで、気風の良い茶屋女。時がたって下品な好色漢になりさがった昔なじみの正蔵が、仇討を助けてやった恩を感じていないどころかバカにして殴るにいたって、復讐を思いたつよぼよぼの老婆。この劇的な変化を菊五郎は愉快に情深く演じました。 正蔵の梅玉の若いときは純朴でまっすぐな青年だけれど、28年たったら好色で強欲な中年男に成るという、いつもとは全く違う役柄が新鮮に映りました。敵の森藤十郎役の團蔵はニヒルなところがよく似合い、「じいさんばあさん」の下嶋同様、はまり役です。團蔵は今月昼夜で四つの異なる役柄をこなす大活躍でした。 この他にもいろいろな市井の人々が登場し、お玉のヒモで胸を患っているような新助の友右衛門、お玉のところへせっせと通ってきて按摩をするのを楽しみにしている好色で温和な和尚の田之助、最初はお玉と同じように身を売っていたががめつくお金をためて後年出会茶屋の女将に納まるおろくの時蔵などが、江戸の市井の情景を浮かび上がらせています。隣の家からちょっとだけ顔を出して、お玉に不審な男がいると告げる茶屋女を演じた歌江もいかにも岡場所らしい雰囲気を出していました。 正蔵が「こういう目にあうのも自業自得だ」と言って家来に仕返しさせなかったのを知ったお玉が、正蔵にも昔の純粋な心が僅かながら残っていたのかと優しい眼差しで見送るラストには救いがありました。小品ではありますが一風変わった味わいの作品で、「歌舞伎として残したい」と思う菊五郎の気持ちが理解できます。 昼の部の最初「八重桐廓噺」では、花道から登場した菊之助の八重桐がみずみずしくて素晴らしく艶っぽかったです。こんなに綺麗な八重桐はみたことがないなぁと思いました。「しゃべり」のところもなかなか面白く見せましたが最初から終わりまで力が入りっぱなしのように見えました。夫の霊魂が体内にはいり、怪力の持ち主になるところは、少し男っぽくなりすぎではないかと感じました。 團蔵の珍しい白塗りの和事は上手かったものの二枚目の煙草屋としては顔が少しきつくて怖かったですが、武士にもどってからは良かったと思いました。 「将門」は松緑の国光の第一声が気持ち良く冴えていました。滝夜叉姫がすっぽんから煙とともに出てくるところからで、差出のほのかな灯りに照らされた姿には歌舞伎らしい魅力が一杯でした。 「芝浜革財布」は菊五郎の政五郎が貧しい棒手振りの時代と、立派に店を構えた親方になった時とでは見違えるようで、お酒には弱いけれども善良な人々を團蔵、権十郎、彦三郎、亀蔵とともに好演しました。政五郎の仲間たちが酔っ払って口々にいいたてるのが、皆自分の女房の自慢なのには微笑ましく思いました。 魁春が演じた、財布をひろったことを夢だと言いくるめる女房・おたつには夫のことを思いやる気持ちがにじみでていました。菊五郎劇団の長所が十二分に発揮された心温まるお芝居でした。 「勢獅子」は日枝山王神社の祭礼に賑やかに踊る様子を表したもの。鳶頭鶴吉を梅玉、鳶頭亀吉を松緑、松江、亀三郎、松也が粋な姿で勇壮な獅子舞を見せ、最後に雀右衛門があでやかな芸者姿であらわれると、おおきな拍手が湧き起こっていました。 夜の部の「神霊矢口渡」では菊之助初役のお舟が、水を得た魚のように生き生きと演じていたのが印象的でした。富十郎の頓兵衛はぬっと藪をかきわけて姿をあらわすところが迫力があって良く、最後は蜘蛛手蛸足で刀のつばをカタカタ鳴らしながらの花道の引っ込みを、たっぷりと見せてくれました。 團蔵の六蔵はもう少し嫌なやつでも良かったようにも思え、松也の傾城うてなは声が少し高すぎると感じましたが、しっとりとしていて儚げなところが良かったです。新田義峯の友右衛門は特徴のある声があの役にあまり合わないのではないかと思いました。 最後は海老蔵の「紅葉狩」。新歌舞伎十八番のこの踊りを女形の役者が踊ると、最初の更科姫はよくても鬼になるところがどうしても迫力が足らないと感じてしまいます。 女形をめったにやらない海老蔵の場合、最初の出こそ横向きの姿に少し違和感がありましたが、その後はどこから見てもしとやかな女形で扇の扱いは完璧でした。鬼の本性をちらりと見せるところでは、ぞっとするような血走った目にとても凄みがあり、迫力という点では充分満足させてくれました。 鬼になってからの力強く面白い踊りは動物的と思えるほどで、その俊敏な動きはちょっとキャッツを連想させました。山神を踊った尾上右近はちょうど変声期なのかかすれ声で気の毒でしたが、切れのいい踊りで楽しませてくれました。平維茂の松緑もぴんと跳ねた髭は似合うとは言いがたかったですが、凛としていてよかったと思います。 八月に市川ぼたんを襲名した海老蔵の妹が、腰元役で単独の踊りを披露しましたが、爽やかに踊っていて好感がもてました。最後は紅葉の葉がひらひらと舞台に舞い落ち、豪華な雰囲気で幕となりました。 |
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この日の大向こう | ||||||||||||||
昼の部の序幕は、あまり声がかからず残念でしたが、女性の方が二〜三人菊之助さんに掛けておられました。二幕目からは夜の部序幕まで、田中さんともう一人会の方がみえて、もりあげていらっしゃいました。「将門」では常磐津に「一巴太夫」と威勢の良い声がかかりました。 夜の部は二幕目にさびの効いたお声の大向こうさんがみえ、上手から掛けられた一般の方お二人ほどをリードしつつ上手い具合にかけられていました。いつも丁度ぴったりの間で間髪をいれず掛けられたのには、さすがだと思いました。一般の方たちの声は常にそのわずか後に聞こえ、丁度の間で掛けるのは意外に難しいものだと感じました。 |
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12月歌舞伎座演目メモ | ||||||||||||||
昼の部 ●「八重桐廓噺」 菊之助、團蔵、萬次郎、松也、市蔵、亀蔵 ●「忍夜恋曲者」 時蔵、松緑 ●「芝浜革財布」 菊五郎、魁春、彦三郎、團蔵、権十郎、亀蔵、田之助、東蔵、 ●「勢獅子」 雀右衛門、梅玉、松緑、松江、亀三郎、松也 夜の部 ●「神霊矢口渡」 菊之助、富十郎、友右衛門、松也、團蔵 ●「出刃打お玉」 菊五郎、梅玉、團蔵、田之助、時蔵、歌江、右之助、権十郎、萬次郎 ●「紅葉狩」 海老蔵、松緑、尾上右近、ぼたん、門之助、市蔵、亀三郎 |