万葉集(巻第十二〜十三) 青空文庫 ―鹿持雅澄『萬葉集古義』による

参考図書
解説万葉集―佐野 保田朗 藤井書店
木の名の由来―深津 正・小林義雄著 日本林業技術協会
万葉集―日本古典文学全集 小学館
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巻第十二〜十三(2841〜3347)
2857  菅の根のねもころごろに照る日にも干(ひ)めや吾(あ)が袖妹に逢はずして
2861  磯の上(へ)に生ふる小松の名を惜しみ人に知らえず恋ひ渡るかも
     或ル本ノ歌ニ曰ク、
    岩の上(へ)に立てる小松の名を惜しみ人には言はず恋ひ渡るかも
2862  山川(やまがは)の水隠(みこもり)に生ふる山菅の止まずも妹が思ほゆるかも
2965  橡(つるはみ)の 袷(あはせ)の衣の 裏しあらば 吾(あれ)強ひめやも 君が来まさぬ

橡(つるはみ)→くぬぎ ぶな科の落葉高木。その実を煎じた汁は染料になる。
  鉄を媒染剤に用いたので色は紺黒または黒色、身分の低い者の衣服の色であった。
2968  の一重衣の裏もなくあるらむ子ゆゑ恋ひ渡るかも
2970  桃花染(つきそ)めの 浅らの衣 浅らかに 思いて妹に 逢はむものかも

 桃花染(つきそ)め→淡紅色に染めた衣服、ヤマモモ(ヤマモモ科ヤマモモ属)の実でで染めたのか?
2985  梓弓末はし知らず然れどもまさかは君に寄りにしものを
     一本ノ歌ニ曰ク、
    梓弓末のたづきは知らねども心は君に寄りにしものを
2986  梓弓引きみ緩(ゆる)べみ思ひみてすでに心は寄りにしものを
2987  梓弓引きて緩さぬ大夫(ますらを)や恋ちふものを忍(しぬ)ひかねてむ
2988  梓弓末の中ごろ淀めりし君には逢ひぬ嘆きはやまむ
2989  梓弓末の中ごろ淀めりし君には逢ひぬ嘆きはやまむ
2996  白香(しらか)つく木綿(ゆふ)は花もの言こそは何時のまさかも常忘らえね
3009  橡の衣解き洗ひ真土山本つ人には猶しかずけり
3047  神さびて巌(いはほ)に生ふるが根の君が心は忘れかねつも
3048  み狩りする猟路(かりぢ)の小野の櫟柴(ならしば)の馴れはまさらず恋こそまされ

 櫟柴→ならはこなら、おおならの別なく広く落葉高木をいう。柴は雑木。
3049  桜麻(さくらあさ)の麻生(をふ)の下草早生ひば妹が下紐解けざらましを
3051  あしひきの山菅の根のねもころに吾(あれ)はそ恋ふる君が姿を
     或ル本ノ歌ニ曰ク、吾(あ)が思(も)ふ人を見むよしもがも。
3052  かきつはた佐紀沢(さきさは)に生ふる菅の根の絶ゆとや君が見えぬこの頃
3053  あしひきの山菅の根のねもころに止まずし思(も)はば妹に逢はむかも

 山菅の根→2456(巻11)
3054  相思はずあるものをかも菅の根のねもころころに吾(あ)が思(も)へるらむ 
3055  山菅のやまずて君を思へかも我が心神(こころと)のこの頃は無き
3066  妹が着(け)る三笠の山の山菅の止まずや恋ひむ命死なずば
3068  水茎の岡の葛葉(くずば)を吹き返し面知る子らが見えぬ頃かも

 水茎→2193 葛葉(くずば)→クズの葉
3070  木綿畳(ゆふたたみ)田上山(たなかみやま)のさな葛ありさりてしも今ならずとも

 さな葛→さねかずら(もくれん科の常緑蔓性植物)
3071  丹波道(たにはぢ)の大江の山の真玉葛(またまづら)絶えむの心吾(あ)が思(も)はなくに

 真玉葛(またまづら)→さな葛
3072  大崎の荒磯の渡(わたり)延ふ葛(くず)の行方もなくや恋ひ渡りなむ
3073  木綿畳田上山のさな後も必ず逢はむとそ思(も)ふ
3074  はねず色のうつろひやすき心あれば年をそ来経(ふ)る言は絶えずて

 翼酢色→ニワウメ→庭梅・小梅・林生梅・古名→ハネズ(常棣花(じょうていか)、翼酢(はねず)、唐棣花
   英名 Japaneze Bush Cherry
   中国原産のバラ科、サクラ属、ユスラウメ節の落葉小低木
3092 白真弓斐太(ひだ)の細江の菅鳥(すがとり)の妹に恋ふれや寝(い)を寝かねつる
3101  紫は灰さすものそ海石榴市(つばいち)の八十の衢(ちまた)に逢ひし子や誰(たれ)

 海石榴市(つばいち)→紫は灰さすものそ−海石榴市のツバキを起こす序
   紫染めには媒染剤に椿の木灰を用いた。
3127  度会(わたらひ)の大川の辺(べ)の若久木我が久ならば妹恋ひむかも

 若久木久木(アカメガシワの古名) アカメガシワ トウダイグサ科の落葉高木
3129  桜花咲きかも散ると見るまでに誰かもここに見えて散りゆく
3130  豊国の企玖(きく)の浜心いたく何しか妹に相言ひそめけむ

 企玖(きく)の浜→松の根の意
3149  梓弓末は知らねど愛(うつく)しみ君にたぐひて山道(やまち)越え来ぬ
3151  よそのみに君を相見て木綿畳手向の山を明日か越え去なむ

 木綿畳木綿で作った敷物
3155  悪木山(あしきやま)木末(こぬれ)ことごと明日よりは靡きたりこそ妹があたり見む
巻第十三
3221  冬こもり 春さり来れば 朝(あした)には 白露置き
   夕へには 霞棚引く 泊瀬のや 木末(こぬれ)が下に 鴬鳴くも
3222  三諸(みもろ)は 人の守(も)る山 本辺(もとへ)は 馬酔木(あしび)花咲き
   末辺(すゑへ)は 椿花咲く うらぐはし山そ 泣く子守る山
3223  天霧(あまぎ)らひ 渡る日隠し 九月(ながつき)の 時雨の降れば
   雁がねも 乏(とも)しく来鳴く 神奈備の 清き御田屋(みたや)の
   垣つ田の 池の堤の 百(もも)足らず 斎槻(いつき)が枝に
   瑞枝(みづえ)さす 秋のもみち葉 まき持たる 小鈴(をすず)もゆらに
   手弱女(たわやめ)に 吾(あれ)はあれども 引き攀ぢて 枝もとををに
   打ち手折り 吾(あ)は持ちてゆく 君が挿頭(かざし)に
3224  独りのみ見れば恋しみ神奈備の山のもみち葉手折りけり君
3228  神奈備の三諸の山に斎ふ思ひ過ぎめや苔生すまでに
3232  斧取りて 丹生(にふ)の桧山(ひやま)の 木伐(こ)り来て 筏に作り
   真楫(まかぢ)貫(ぬ)き 磯榜ぎ廻(た)みつつ 島伝ひ 見れども飽かず
   み吉野の 滝(たぎ)もとどろに 落つる白波
3238  逢坂をうち出て見れば淡海の海(み)白木綿花(しらゆふはな)に波立ち渡る
3239  近江の海(み) 泊(とまり)八十(やそ)あり 八十島の 島の崎々
   あり立てる 花橘を ほつ枝に 黐(もち)引き懸け
   中つ枝に 鵤(いかるが)懸け しづ枝に 比米(しめ)を懸け
   己(し)が母を 取らくを知らに 己が父を 取らくを知らに
   戯(いそば)ひ居るよ 鵤と比米と
3258  あら玉の 年は来去りて 玉づさの 使の来ねば
   霞立つ 長き春日を 天地に 思ひ足らはし
   たらちねの 母の飼ふ蚕(こ)の 繭隠(まよごも)り 息づき渡り
   吾(あ)が恋ふる 心のうちを 人に言はむ ものにしあらねば
   松が根の 待つこと遠み 天伝ふ 日の暮れぬれば
   白妙の 我が衣手も 通りて濡れぬ
3266  春されば 花咲き撓(をを)り 秋づけば 丹の秀(ほ)に黄葉(もみ)つ
   味酒(うまさけ)を 神奈備山の 帯にせる 明日香の川の
   速き瀬に 生ふる玉藻の 打ち靡き 心は寄りて
   朝露の 消(け)なば消ぬべく 恋ふらくも しるくも逢へる
   隠(こも)り妻かも
3284  菅の根の ねもころごろに 吾(あ)が思(も)へる 妹によりてば
   言の忌みも 無くありこそと 斎瓮(いはひへ)を 斎ひ掘り据ゑ
   竹玉(たかたま)を 間なく貫(ぬ)き垂り 天地の 神をそ吾(あ)が祈(の)む
   いたもすべなみ
3288  大船の 思ひ頼みて 松が根の いや遠長く
   吾(あ)が思(も)へる 君によりてば 言の故も なくありこそと
   木綿(ゆふ)たすき 肩に取り懸け 斎瓮(いはひへ)を 斎(いは)ひ掘り据ゑ
   天地の 神にそ吾(あ)が祈(の)む いたもすべなみ
3291  み吉野の 真木立つ山に 繁(しじ)に生ふる 山菅の根の
   ねもころに 吾(あ)が思(も)ふ君は 大皇(おほきみ)の 任(まけ)のまにまに
   夷離(ひなざか)る 国治めにと 群鳥(むらとり)の 朝立ちゆけば
   後れたる 吾(あれ)か恋ひなむ 旅ならば 君か偲はむ
   言はむすべ せむすべ知らに あしひきの 山の木末(こぬれ)に
   はふ蔦の 別れのあまた 惜しくもあるかも
3295  うちひさつ 三宅の原ゆ 直土(ひたつち)に 足踏みつらね
   夏草を 腰になづみ 如何なるや 人の子ゆゑそ
   通はすも吾子(あご) うべなうべな 母は知らず
   うべなうべな 父は知らず 蜷(みな)の腸(わた) か黒き髪に
   真木綿(まゆふ)もち あざさ結ひ垂り 大和の 黄楊(つげ)の小櫛を
   抑へ刺す 敷妙の子は それそ吾(あ)が妻
3302  紀の国の 牟婁(むろ)の江の辺(べ)に 千年に 障(つつ)むことなく
   万代(よろづよ)に かくしもあらむと 大舟の 思ひ頼みて 出立ちの 清き渚に
   朝凪に 来依る深海松 夕凪に 来依る縄海苔(なはのり)
   深海松の 深めし子らを 縄海苔の 引かば絶ゆとや
   里人(さどひと)の 行きの集ひに 泣く子なす 行き取り探り
   梓弓 弓腹(ゆはら)振り起し しのき羽を 二つ手挟(たばさ)み
   放ちけむ 人し悔しも 恋ふらく思(も)へば
     右一首。
3305  物思(も)はず 道行きなむも 春山を 振り放け見れば
   躑躅花 にほひ処女(をとめ) 桜花  栄え処女
   汝(な)をそも 吾(あ)に寄すちふ 吾(あ)をそも 汝に寄すちふ
   荒山も 人し寄すれば 寄そるとぞいふ 汝が心ゆめ
3307  しかれこそ 年の八年(やとせ)を 切る髪の 我が肩を過ぎ
   の ほつ枝を過ぎて この川の 下にも長く 汝が心待て
3309  物思(も)はず 道行きなむも 春山を 振り放け見れば
   躑躅花(つつじはな) にほえ処女(をとめ) 桜花 栄え処女
   汝(な)をぞも 吾(あ)に寄すちふ 吾(あ)をぞも 汝に寄すちふ
   汝は如何に思(も)ふや 思へこそ 年の八年(やとせ)を
   切る髪の 吾(あ)が肩を過ぎ 橘の ほつ枝を過ぐり
   この川の 下にも長く 汝が心待て
3324  かけまくも あやに畏(かしこ)し 藤原の 都しみみに
   人はしも 満ちてあれども 君はしも 多くいませど
   往き易(かは)る 年の緒長く 仕へ来し 君の御門を
   天のごと 仰ぎて見つつ 畏けど 思ひ頼みて
   いつしかも 我が大王の 天の下 しろしいまして
   望月の 満(たたは)しけむと 吾(あ)が思(も)へる 皇子の尊は
   春されば 植槻(うゑつき)が上の 遠つ人 松の下道(したぢ)ゆ
   登らして 国見遊ばし 九月(ながつき)の しぐれの秋は
   大殿の 砌(みぎり)しみみに 露負ひて 靡ける萩を
   玉たすき 懸けて偲はし み雪降る 冬の朝(あした)は
   刺し柳 根張り梓を 大御手に 取らし賜ひて
   遊ばしし 我が大王を 煙(けぶり)立つ 春の日暮らし
   真澄鏡(まそかがみ) 見れど飽かねば 万代に かくしもがもと
   大船の 頼める時に 吾(あ)が涙 目かも惑はす
   大殿を 振り放け見れば 白たへに 飾りまつりて
   内日さす 宮の舎人は 栲(たへ)の秀(ほ)の 麻衣(あさきぬ)着(け)るは
   夢かも 現前(うつつ)かもと 曇り夜の 惑へるほとに
   麻裳よし 城上(きのへ)の道ゆ つぬさはふ 磐余(いはれ)を見つつ
   神葬(かむはふ)り 葬りまつれば 行く道の たづきを知らに
   思へども 験(しるし)を無み 嘆けども 奥処(おくか)を無み
   御袖もち 触(ふ)りてし松を 言問はぬ 木にはあれども
   あら玉の 立つ月ごとに 天の原 振り放け見つつ
   玉たすき 懸けて偲はな 畏かれども
3346
 見さくれば 雲居に見ゆる 愛(うるは)しき 十羽(とは)の松原
   童(わらは)ども いざわ出で見む こと避(さ)かば 国に離(さ)かなむ
   こと避(さ)かば 家に離(さ)かなむ 天地の 神し恨めし
   草枕 この旅の日(け)に 妻離(さ)くべしや

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