桃の木
ヘルマン・ヘッセ
V・ミヒェルス 岡田朝雄訳
庭仕事の楽しみ
草思社
・・・・・・以下引用
桃の木
昨夜、フェーンが激しく容赦なく、がまん強い土地の上を、空っぼの畑と庭の上を、葉の落ちた葡萄の畑と裸の森を吹き抜け、枝という枝、幹という幹を引っ張り、どの障害物の前でもヒュウヒュウとうなりをあげ、イチジクの木の中でガタガタと骨張った音を立て、枯葉を雲のように旋回させながら空高く吹き飛ばした。朝になってみると、枯葉はいたるところ風よけとなった片隅や壁の張り出しのかげにきれいに吹き寄せられて、うず高く積もっていた。

庭へ行ってみると、不幸な出来事が起こっていた。私の桃の木の中で一番大きなのが、地面に倒れていた。地面の近くで折れて、葡萄畑の急斜面に墜落していたのだ。桃の木は、たしかにあまり寿命が長くないし、巨木にも偉大な木にも属さない。ひ弱で、抵抗力がなく、傷害に極度に敏感で、たっぷり樹脂を含むその汁は、極端な品種改良のために生命力が弱くなった古い貴族の血のような性質をもっている。倒れてしまった木が、特に高貴で美しい木というわけではないけれど、それはやはり私の桃の木の中で最も大きく、古くからの知己であり、友であって、すでに私よりも長くこの土地になじんできたものである。


毎年この木は、三月の半ばを過ぎるとまもなくそのつぼみを開きはじめ、バラ色の花をつけた泡のような樹冠を、晴れた日の青空には力強く、雨の日の灰色の空にはかぎりなくやさしく浮かび上がらせ、さわやかな四月の日々の陽気な突風に吹かれて、眼にもまばゆい黄金色のヤマキチチョウがときおり飛び抜けてゆく枝をゆすり、悪意あるフェーンに抵抗し、ひと雨ごとに雑草の緑が濃くなって、増えはびこってゆく足もとの葡萄畑の急斜面を、かるく身をかがめて見下ろしながら、静かに、夢見るように雨季の湿った灰色の空に立っていたのである。


たびたび私はその木から花の咲いた小枝を家に、部屋に持ち帰ったものであった。果実が重くなりはじめる時期には、支柱を立てて支えたこともある。ずっと以前には、厚かましくも満開の時期にこの木を絵に描こうとしたこともたびたびあった。四季を通じて彼はそこに立ち、私の小さな世界の中に彼の場所をもち、私とともにその世界に属し、炎暑と雪と、嵐と静寂をともに体験し、その調べを歌に、その響きを絵に役立て、しだいに葡萄の支柱の上に高く成長して、何世代もの蜥蜴や蛇や蝶や鳥たちよりも長生きをした。


彼はずばぬけて優れた木でもなく、特別に注目された木でもなかったけれど、なくてはならぬものであった。実が熟しはじめる時期になると、私は毎朝階段状の小道を通って彼のところへ寄り道をして、夜のあいだに落ちた桃を濡れた草の中から拾い上げて、ポケットや籠や帽子に入れて家に持ち帰り、日の当たるテラスの欄干の上に並べた。

こうして、古くからの知り合いであり友人であったこの木の生えていた場所に穴があいてしまった。私の小さな世界にひとつの裂け目ができて、その裂け目から空虚が、暗闇が、死が、恐怖がのぞきこんでいる。その折れた幹は悲しそうに横たわっていた。材質はもろく、ちょっと海綿のように見えた。いくつかの大枝は倒壊したときに折れてしまった。おそらく二週間もすればまたバラ色の春の冠をかぶって青空や灰色の空にそれをかかげたことであろうに。私が、一本の小枝を、ひとつの実をこの奈ら摘み取ることはもう二度とない。その枝ぶりの個性的で・少し奇抜な構造を写生してみることは二度とできない。暑い夏の真昼に階段道から彼のところへ降りて行って、寸時のあいだその淡い木陰で休憩することももう二度とないのだ。


私は、庭師ロレンツォを呼んで、倒木を馬小屋へ運ぶように指示した。そ、そ、次の雨の日、ちょうどほかの仕事が何もないときに、この木は鋸で挽かれて薪になることだろう。私は不機嫌に彼を見送った。ああ、樹木にも信頼がおけないとは、樹木も人から失われ、死んでしまい、ある日人を見捨てて、大きな闇へと消えて行ってしまうことがあろうとは!私は重い幹を苦労して引きずって行くロレンツォを見送った。さらば、私の愛する桃の木よ!


おまえは少なくとも申し分のない、自然な、まっとうな死に方をした。だから私はおまえを幸せだと言いたい。おまえは、もうそれ以上は不可能なところまで、強大な敵に四肢を関節からもぎとられるまで抵抗し、我慢した。おまえは屈服せざるを得ず、倒れ、おまえの根から切り離された。けれどおまえは、戦闘機の爆弾で寸断されたのではなく、悪魔的な酸で焼かれたのでもなく・何百万の同胞のように故郷の土からもぎとられ、血のしたたる根のまま一時的にまた植え変えられて、やがて改めて引き抜かれて、故郷を奪われたのではない。おまえは、おまえの周囲で滅亡と破壊、戦争と恥辱を体験し、みじめに死滅しなければならなかったわけではない。


おまえは、おまえの仲間にとって正当で、ふさわしい運命をもった。そのために私はおまえを幸せだと言うのだ。私たちが老年の日々に、汚染された世界の病毒と悲惨に対して身を守らねばならず、あたり一面蔓延する腐敗の中で少しでも清浄な空気をひと呼吸ごとに闘い取らねばならないのにくらべれば、おまえは私たちよりもはるかに幸せに、美しく老い、品位ある死に方をしたのである。
(

私はその木が倒れているのを見たとき、このような損失に当たっていつもそうしたように、補充を、つまり新たな植樹を考えた。倒れた木のあとに穴を掘り、しばらくのあいだ穴をあけたままにして、空気と雨と日光にさらし、時間をかけてその穴の中に糞尿を少し、雑草の堆肥を少し、それにいろいろな種類の木の灰を混ぜた塵芥を入れてゆき、ある日、できるだけ穏やかな生暖かい雨の日に、新しい小さな苗木を植えようと。この小さな若木、この幼木にとっても、ここの土と空気は、まずまず快適なものになるであろう。それはまた、葡萄の木、草花、蜥蜴、鳥、蝶たちの友だちとなり、よき隣人となるであろう。そして数年の後には実を結び、春ごとに、三月の半ば過ぎにその愛らしい花を咲かせ、運命がそれに好意をもつならば、いつのひか一本の疲れた老木となって、嵐か、地すべりか、雪の圧力の犠牲になって倒れるであろう。


けれど私は、今回は新しい植樹の決心がつかなかった。私は、至のあいだにかなりたくさんの木を植えてきた。この一本がそれほど重要なわけではなかった。そしてまたここでこのたびも、この循環を更新すること、生命の車輪を新たに始動させて、食欲な死のためにひとつの新しい獲物を育成することに対して、私の心の中で何かが抵抗した。私はそれを望まなかった。この場所は空けたままにしておこう。
(一九四五年)
・・・・・・引用終わり
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