2006年・井川線あぷとラインの旅
[大井川鉄道の旅・その2]
(Ikawa Abt-line, Oi-river Railway, 2006)

−− 2006.10.14 エルニーニョ深沢(ElNino Fukazawa)
2006.12.25 改訂

※注意:このページは写真が多く、読込みに時間が掛かります。
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 ■はじめに − 先ずは本線で千頭へ

 ★このページは<その1>「塩郷吊橋」編の続きです。山間を行く大鐵井川線の魅力をたっぷりとご紹介します。

 05年の夏、私は何の予定も無く不意に大井川鉄道(正式名称:大井川鐵道(株)、略称:大鉄又は大鐵)の本線を塩郷駅迄乗りましたが、1年後の06年夏に今度は井川線に乗りました。本線と井川線の歴史や沿革については<その1>の「大井川鉄道の沿革」をご覧下さい。沿革に記した様に井川は濁らず「いかわ」と読みます。
 実は昨年の旅の後、大鐵のことを知った時から日本で唯一のアプト式機関車(※1)で駆動する井川線に乗りたかったのです。大鐵金谷駅〜千頭駅〜井川駅を往復する為私は前日静岡に宿を取りました。早朝に静岡のホテルを出てからの旅程を以下に記します。

  8月30日(水)      <黒字:JR  青字:JR以外
   静岡のホテル → 静岡(06:22) → 金谷(06:54)
   大鐵金谷(07:36) → 千頭(08:49) 千頭(09:00) →<アプト>→ 井川(10:45)
   井川(11:03) →<アプト>→ 千頭(12:45) 「山菜蕎麦」を立ち食い
                        SL資料館千頭駅構内を見学
                  千頭(15:23) →<SL急行>→ 大鐵金谷(16:56)

   金谷(17:12) → 東京へ          ●宿泊(浅草のホテル)


写真0−1:大鐵金谷駅から見える火の見櫓。写真0−2:大鐵金谷駅に待機する千頭行き普通電車(京阪車輌)。 井川線の始発は9時0分発なので、千頭行きの本線は大鐵金谷7時36分発に乗れば間に合います。
 私は先ず大鐵金谷駅で井川迄の切符(=3,090円)を買い、その後近くの巌室神社に行って時間を潰し頃合を見て駅に戻りました。大鐵金谷駅の北側には茶畑の丘を背景に火の見櫓が見えます(左の写真)。
 そして乗り込んだ普通電車京阪特急の車輌でした(右の写真)。大鐵の”他人の褌(ふんどし)”活用精神は既にお伝えした通りです。金谷で乗り込んだ客は3〜4人でした。
 

 ローカル線の旅の楽しみは何と言っても車窓からの移り行く眺めです。左下が昨年”揺らり旅”をした塩郷吊橋で人が1名橋上でこの電車を撮って居ます。そう言う私も昨年吊橋の上から列車を撮影しました。
 朝は曇っていたのですが途中少し雲が切れて下泉駅を過ぎた辺りからは右下の南アルプス最南端の峰々を見ることが出来ました。
  写真0−3:塩郷吊橋。写真0−4:南アルプス最南端の峰々。

 ■千頭にて

  ◆初めて見るあぷとラインの車輌

 然う斯うする内に約1時間15分で終点の千頭駅に到着、下車した客は20人位です。ここは静岡県榛原郡川根本町千頭標高299mです。<その1>に記した様に、05年9月20日に中川根町と本川根町が合併して川根本町が誕生しました。私は先に改札横の窓口で帰りのSL急行「かわね路号」の急行券(=座席指定、560円)を購入しました、混むかどうか知れませんが座席確保の為です。

写真1−1:千頭駅構内に勢揃いする「南アルプスあぷとライン」の赤い列車。 井川線のホームに移動すると居ました居ました、右の写真の様に井川線の「南アルプスあぷとライン」の赤い列車が勢揃いして居ます!

 そして左下が私が乗るべき9時0分発の列車の先頭で、クハ600型制御客車(後で説明)です。
写真1−2−1:先頭のクハ600型制御客車。写真1−2−2:「あぷとライン」のヘッドマーク。 先頭車輌前面のヘッドマークを拡大したのが右の写真で、南アルプスの山々を背景に大井川に架かる鉄橋の上を列車が走っている光景がデザインされ、下部に愛称が下の様に書かれて居るのが僅かに読めます。
   
    
  南アルプスライン
写真1−4:「あぷとライン」の客車内。写真1−3:最後尾のDD20型ディーゼル機関車。 発車迄には未だ5〜6分余裕が有ったので私は最後尾へ走って行き撮影したのが左の写真で、何と最後尾にDD20型ディーゼル機関車が連結されて居ました。その訳は後で説明しましょう。
 列車は全部で7輌編成位でした。
 車内は軽便鉄道らしく短く狭く屋根も低いですが、窓が全て開け放たれ快適 −私は窓が開かない近代的車輌が不快!− です。右上が客車内の様子で、2人掛けと1人掛けの座席の間に狭い通路が通り、車内に立ち手を窓外に伸ばすと屋根の上に届きます。ご覧の様に夏休みも終わりの8月末の平日と在って車内はガラ空きでした(全車輌の乗客は10数人)。
 <その1>の「沿革」に記した様に、井川線は元々が電源開発の為のダム建設用に敷設されたもの −現在でも線路設備は中部電力の所有− で、沿線民家は奥泉と接岨峡温泉に集中して存在して居ます。

  ◆大鐵の誘蛾灯商法

写真B1−1:「あぷとライン」の車掌。 その後奥深い山間の地にも舗装道路が整備されてモータリゼーションの波に洗われ、今ではこの井川線を利用する地元の人は殆ど居ません、オッホッホ!
 何しろ、サービス精神溢れた「あぷとライン」の車掌(右の写真)の車内放送に拠ると、車で30分で行ける千頭〜井川間を「あぷとライン」は何と3倍半の1時間45分も掛けて走るのです。井川線の車掌は沿線風景やエピソードを小まめに車内放送します。つまり、井川線は観光客相手なのです。
 大鐵は寧ろ、本線のSLと井川線のアプト式機関車に依って、遠方からの鉄道マニアや私の様な酔狂者を誘き寄せる誘蛾灯商法を積極的に展開して居ます。私もこの日は”蛾に成った”気持ちで「あぷとライン」とSLに乗り込み、冒頭の旅程の如くに大井川鉄道を完全走破したのです。SLの旅は<その3>「SL道中記」編に譲り、このページでは井川線の旅の魅力旅をたっぷりとお伝えします。

 ■井川線「井川行き」の旅程と標高・距離表

  ◆あぷとラインの駅の住所

    千頭     :  静岡県榛原郡川根本町千頭
    川根両国   :  // // //  千頭
    沢間     :  // // //  千頭
    土本     :  // // //  奥泉
    川根小山   :  // // //  奥泉
    奥泉     :  // // //  奥泉
    アプトいちしろ:  // // //  梅地
    長島ダム   :  // // //  犬間
    ひらんだ   :  // // //  犬間
    奥大井湖上  :  // // //  梅地
    接岨峡温泉  :  // // //  犬間
    尾盛     :  // // //  犬間
    閑蔵     :  // 静岡市葵区  井川
    井川     :  // // //  井川

  ◆井川線各駅の標高・距離

 私が乗った井川線「井川行き」の時刻表と各駅の標高[m]・距離[km]表を下に載せて置きましょう(△1)。

                      <-アプト->
    千  川  沢  土  川  奥  いア  長  ひ   奥  接  尾  閑  井
       根        根     ちプ  島  ら  湖大 温阻
       両        小     しト  ダ  ん   井  峡
    頭  国  間  本  山  泉  ろ   ム  だ  上  泉   盛  蔵  川

 時刻 9:00 9:04 9:10 9:15 9:23 9:31 9:43 9:53 9:57 10:01 10:08 10:17 10:27 10:45
 標高 299  307  323  325  355  369  396  485  485  490  492  526  586  686
 距離 0.0  1.1  2.4  3.9  5.8  7.5  9.9 11.4 12.6 13.9 15.5 17.8 20.5 25.5


 これから井川線に乗って奥大井の山懐に控える終点・井川駅迄高度差387mを登って行きます。但し、<その1>の「沿革」に記した様に、金谷から遠ざかる方向、即ち上り勾配を登る方向が「下り線」ですので、ご注意を(※2)。
 それでは井川線「南アルプスあぷとライン」の旅をどうか”ご緩りと”お楽しみ下さい。

 ■井川線あぷとライン”緩り旅” − 井川への往路

 千頭駅→井川駅の25.5kmを1時間45分、即ち自転車と同程度の平均時速20〜25[km/h]で走る井川線の旅は効率を無視した”緩り旅”です。私の様に俗世間を超越した人間にこそ相応しいと言えましょう!!

  ◆千頭〜奥泉

 千頭駅を”緩り”と出発した「あぷとライン」の列車は静岡市の井川地区に入る迄ずっと静岡県榛原郡川根本町の旧・本川根町地区を走ります。

写真1−5−1:川根両国駅から見た朝日岳。 暫くは平地を走り間も無く川根両国駅川根本町千頭)に着きます。ここは千頭の少し郊外で民家も少なからず在ります。駅からは右の写真の様に真北に寸又峡の秀峰・朝日岳(標高1827m)がくっきりと見えます。
 そして駅構内で見掛けた右下の車輌は後で調べて解ったのですが、千頭〜川根両国のたった1駅間を1日数便ピストン運転する「かわかぜ号」の客車です(△1)。
写真1−5−2:川根両国駅構内のDB1型ディーゼル機関車。 この2輌編成の客車をDB1型ディーゼル機関車という小型機関車で夏休みなど季節限定で運行しますので、鉄道マニアの方は是非試乗してみて下さい。大鐵は川根両国駅対岸の「グリーン広場」(千頭駅からも徒歩15分)という所にどうしても親子連れの”蛾”を誘い込みたい様です!
写真2−1:川根両国駅付近の両国吊橋。 大井川流域には多くの吊橋が架かって居ますが、川根両国駅を少し過ぎると直ぐに全長145m両国吊橋が右手に見えて来ます(右の写真)。両国の名は嘗て大井川を境にこちら側(=西側)を遠江国(とおとうみのくに)、対岸側を駿河国と呼んだことに由来し、吊橋は2つの国を結ぶことから「両国」と名付けられ、「川根両国」という駅名はこの両国吊橋に因んで命名されたそうです(△1)。
写真2−2:トンネルに進入する「あぷとライン」。写真2−3:峡谷の斜面を走る「あぷとライン」。
 この吊橋を過ぎた辺りから「あぷとライン」は狭隘な山や谷の間に分け入って行き、トンネルを幾つも通過します。左の2枚はトンネルや峡谷の斜面を走る「あぷとライン」です。やっと辺境列車らしく成って来ましたよ。

 次の沢間駅川根本町千頭)は、嘗て発電所建設の為に営林署の千頭森林鉄道 −0.762mの軽便軌条− が分岐して大間地区(=寸又峡)へ行って居ましたが1969年に廃止されました。現在軌道跡は林道として使用され、バスの「寸又峡入口」停留所には千頭森林鉄道の車輌を展示して居ます。


写真2−4−1:寸又川と大井川の合流点。 沢間駅を出て暫く行くと右手の大井川に左から寸又川が合流する地点(右の写真)に出て、列車は寸又川上の鉄橋を渡ります。
写真2−4−2:三叉橋を渡る「あぷとライン」。 実はこの鉄橋の少し上流で寸又川に横沢が合流して居て、車掌はここが「3つの川の合流点」でこの鉄橋を三叉橋(左の写真)と呼ぶ、と説明して居ました。
 左の写真は三叉橋を左側の窓から後ろ向きに撮ったもので、鉄橋の右側に見える川が横沢と合流した寸又川です。

 この三叉橋を通過すると間も無く土本駅川根本町奥泉)、もう奥泉の区域です。駅を造る時(=1959年)に付近に住んで居た住民はたったの4軒しか無く、その内3軒が土本姓だった為に名付けられたと言います。現在も家の数は増えて居ません。

 [ちょっと一言]方向指示(次) 嘗て嵐の洪水で、ここに土砂が流れて来たので「土合(どやい)」という土地の言葉に成り、それが何時しか「土本」に成ったそうです(△1)。

 今では県道が近くを通り県道にも土本橋が架けられて居ますが、それ以前は輸送手段は井川線のみで緊急時は三叉橋を歩いて渡ったそうです。辺境の鉄道らしいエピソードです。付近には池の谷キャンプ場が在り、バンガローや無料の温水シャワーなどの設備が在るそうです(△1)。

写真2−5:川根小山駅付近の茶畑。
 次の川根小山駅川根本町奥泉)は小高い小山の上にあり、付近には右の写真の様に茶畑が広がり、集落は茶畑の斜面の下方に見えて居ます。これが「川根茶」です。

 茶畑を過ぎトンネルを潜り抜けると列車は奥泉駅川根本町奥泉標高369m)に到着しました。
写真2−6:奥泉駅のホーム。 ここは千頭駅前←→寸又峡温泉の路線バスの経由点です。何しろバスの方が断然速い −千頭〜奥泉間は列車で27分、バスで10分− ので、観光客の乗降が接岨峡温泉駅・井川駅と並んで多く、複線の有人駅で売店も備えて居ます。
 右は対向列車待ちの間のホームの風景で、退屈そうにして居る車掌の前に江戸時代の旅人姿の人形が見えて居ます。
 この駅から観光客と思える人々がガヤガヤと私の車輌に7〜8人乗り込んで来ましたが、未だ席は半分以上空いて居ます。
 この付近には縄文時代の狩猟用具や江戸時代の鍛冶場跡が発掘された下開土遺跡が在り、駅前にはそのモニュメントが在ります。

  ◆奥泉〜アプトいちしろ

 奥泉駅を過ぎるとやがて右手前方に橙色が鮮やかな泉大橋が見えて来ます(下の2枚の写真)。

 泉大橋は1983年に元々は長島ダム建設の為に、こちら側の川根本町奥泉と対岸の川根本町東藤川を結ぶ橋として架けられ、現在は奥泉と接岨峡温泉・井川方面とを結ぶ県道388号の一部です。
写真3−1−1:大井川渓谷に映える泉大橋。 窓から顔を出し橋を見ていると、列車は橋の付け根の下を潜り抜けて行きます。真下から見上げた泉大橋は随分高い所に架かって居ます(下の写真)。
写真3−1−2:泉大橋の真下を通過。

 やがて第一大井川橋梁(左下の写真)で大井川左岸に渡りトンネルを抜けるとアプトいちしろ駅川根本町梅地)に到着です。「いちしろ」は漢字で書くと「市代」で、この辺りの地名です。
 今迄右手に見えていた大井川は左手に見え、後方に大井川ダムとそれに架かる茶色の産業吊橋が見えます(右下の写真)。この写真で向こう岸の白い鉄塔の背後の山の上の方に緑が切れて居る箇所が見えますが、これは寸又峡温泉に通じる県道77号です。
写真3−2:第一大井川橋梁を渡る「あぷとライン」。写真4−1:アプトいちしろ駅付近の大井川ダムに架かる産業吊橋。
写真B3−1:産業吊橋で信号待ちをするトラック。
 右の写真は産業吊橋の上で列車の通過待ちをして居たトラックです。重量8t、車高2.0m、時速20km制限標識が見えて居ます。フーム、車が通れる吊橋なんですね。
 この吊橋を渡った対岸には水力発電を行う奥泉発電所が在ります。この発電所で使う水は上流の井川地区に在る奥泉ダム(後出)から巨大な導水管で供給され、ここで使われた水は更に寸又川ダムに送られます。
 

  ◆アプトいちしろ駅:アプト式機関車の連結

 ここで愈々アプト式機関車の連結です!
写真4−2:アプトいちしろ駅でのED90型アプト式電気機関車の連結風景。 アプト式機関車を前に連結すると思っていたら違いました、後ろ(=坂下側)に2輌連結(理由は後述)します。左は機関車を誘導する駅員と最後尾車輌に近付くED90型アプト式電気機関車です。つまりアプト区間のみは電化区間なのですね。写真B4−1:アプト式電気機関車側面のラックレールのマーク。
 機関車の側面には右の様なラックレールのマークが描かれ "SYSTEM ABT" と記載されて居ます。
写真4−3:アプト式電気機関車連結後の連結部。 ここで千頭駅待合室隣にはSL資料館が在り、そこからラックレールの実物の写真を載せましょう(左の写真)。
 そしてガチャーンと連結。右の写真が連結完了後の連結部 −左側が客車最後尾、右側がアプト式機関車− です。線路の中央にラックレールが見えて居ますね。
写真4−4:アプトいちしろ駅の駅名板。
 左が駅名板で、吊り下げられたプレートに「海抜396m」と書かれて居るのが読めると思います。ここから隣の長島ダム駅(=海抜485m)迄歯車の力を借りて非常にゆっくりと登って行くのです。

    ++++ 井川線アプト区間の勾配 ++++
 ここで少し計算をしてみましょう。1.5km進む間に89mの高度差を登るのですから平均で

  89m/1500m=59.3/1000=59.3パーミル

という事に成りますが、最もきつい勾配箇所は90パーミルで、これは日本一の急勾配なのです。100mの水平移動で9mの登りということです。
 では90パーミルとは角度にして何度か?、それには以前JR関西本線で計算した様に逆三角関数アークタンジェント(arctan)を使います。

  arctan(90/1000) = 0.0897582[rad] = 5.143[deg]

 角度にして約5.1[度]の登りです。
    −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

  ◆アプトいちしろ〜長島ダム:アプト区間(上り勾配)

 列車は”これ見よがし”にゆっくりと走り出しました。左下が先頭のクハ600型制御客車です。
 そして右下が最後尾からガチガチと歯車を軋ませて後押しする2連のED90型アプト式電気機関車で標高差89m、最高90パーミルの急勾配を約7分掛けて押し上げます。ご覧の様にパンタグラフを付けたアプト式電気機関車は客車の1.5倍位の高さが有ります。
写真5−1−1:アプト区間の先頭を行くクハ600型制御客車。写真5−1−2:アプト区間を後押しする2連のED90型アプト式電気機関車。

    ++++ 制御客車の役割 ++++
 ここで制御客車の役割を説明しましょう。1990年のアプト区間開業以前はディーゼル機関車(DL)を前に連結し通常の形で勾配を登っていたのですが、急勾配のアプト区間を走行するには重量の重いDLやアプト式電気機関車(EL)は坂下に配置する必要が有り、新たに坂上側先頭に連結し運転制御可能な軽量車輌が必要に成り製作したのがクハ600型制御客車です。運転台にはDL用/EL用双方のマスター・コントローラーを備えていて、これで後部のDL/ELを駆動させますが、軽量化の為に制御客車自体は駆動機関を持ちません。
    −−−−−−−−−−−−−−−−−


 つまり上り勾配では、先頭の制御客車の制御下

  通常区間 :DL(後押し)
  アプト区間:2連のアプト式EL(後押し)

を駆動して登ります。牽引では無く後押し(=推進)だったのですね!
 では帰りの下り勾配はどうするのでしょうか?、それは後のお・楽・し・み!

 やがて右手前方の眼下に長島ダムの大きな堰(下の写真)が見えて来ます。この辺りが井川線車窓風景の最大の見所で、正に圧巻です。長島ダムは利水と治水を兼ねた多目的ダムとして2001(平成13)年に完成し、高さ109m、幅308mで大井川水系で最大のダムです。
写真5−2:長島ダムの大きな堰。
 写真の堰の手前は散策出来ます。堰手前の岸が大樽広場、対岸と結ぶ橋が「しぶき橋」、対岸が四季彩公園で、次の長島ダム駅から降りて行くことが出来ます。
 対岸の岸壁から水が放流されて居るのが見えますが、「しぶき橋」を渡る時はこの放流水の飛沫(しぶき)が本当に掛かるそうです。

  ◆長島ダム駅:アプト式機関車の切り離し

 長島ダム駅川根本町犬間)に着くと、今迄登って来たコースを振り返って眺めることが出来ます。下の写真が長島ダム駅からのアプト区間を振り返った眺望です。2つのトンネル間のコースが上りの急勾配であることが見て取れます。
 線路の崖下から駅の谷側を県道388号が通って居ます。
写真B6−1:長島ダム駅からのアプト区間を振り返った眺望。
写真6−1:長島ダム駅で切り離され去っていく2連のアプト式機関車。
 ここでアプト区間は終了でアプト式機関車を切り離します。
 左は切り離し前
 右は役目を終え切り離され去って行く2連のアプト式機関車です。

 前述の様にこの駅から長島ダムを見学出来ます。長島ダム管理所1階はダム資料館に成っていて、対岸には「ふれあい館」が在り長島ダムの紹介と観光案内をして居ます。長島ダム駅は復路も有ります。

  ◆長島ダム〜接岨峡温泉

写真7−1:ダム湖の接岨湖。 ここから先は再びディーゼル機関車のみの推進と成ります。長島ダム駅を出てトンネルを2つ抜けると長島ダムで堰き止められたダム湖の接岨湖(右の写真)が右手に見えて来ます。列車はその儘湖岸を走り、やがてひらんだ駅川根本町犬間)に着きます。「ひらんだ」とは「平田」のことで、土地言葉の発音です。
 ひらんだ駅は右の写真の左側の護岸の土手の上にホームだけが在り、勿論無人駅です。写真の土手の下は現在、奥大井接岨湖カヌー競技場に成って居ます。

 ひらんだ駅を過ぎ長い平田トンネルを抜けると右手前方に接岨湖に架かる赤橙色の大きな橋が見えて来ますが、これが奥大井レインボーブリッジ(下の写真)です。

 奥大井レインボーブリッジは2つの部分から成り、今見えている下流側部分が長さ280m、この写真の対岸の先の上流側の渓谷を越える部分が長さ195m、即ち合計長475m高さ70mの橋です。

 青い山々、緑の湖を背景に長く高い赤橙色の大橋を真っ赤な軽便型の「あぷとライン」が渡り行く姿は鮮やかで絵に成ります。この時は曇って居ましたが晴れて居て空の青さが加われば絵としては完璧です。ここも井川線車窓風景の重要な見所です。
写真7−2:奥大井レインボーブリッジを渡る「あぷとライン」。
 レインボーブリッジ脇にはご覧の様に歩道が在り、ここを歩いて渡ることも出来ます。先頭車輌の上方の山腹に道路が見えて居ます。
写真7−2−2:レインボーブリッジ中間の奥大井湖上駅。
 右上の写真で、レインボーブリッジの向こうに張り出して居る陸地に次の奥大井湖上駅川根本町梅地)が見えて居ますが、右はその部分の拡大です。ところで梅地という地名はあぷといちしろ駅と同じで、途中の長島ダム駅とひらんだ駅は犬間でした。列車は進んで居るのに住所は戻っているのにお気付きでしょうか?!
 その理由は、この付近では大井川右岸が犬間、左岸が梅地だからで、右上の写真でお解りの様に、奥大井湖上駅は左岸に位置します。
 

 左下の写真は湖上駅から列車後方の接岨湖を振り返って撮ったもので、名前の通り駅は湖を見下ろす位置に在り、ホームの大部分はレインボーブリッジの上に食み出して居ます。
写真8−1:奥大井湖上駅からレインボーブリッジと接岨湖を振り返る。 ところで、このホームの赤橙色の柵の上部には森の生き物たちをデザインした白いプレート(下の写真)が嵌め込まれて居るのをご存知ですか?
写真8−2−1:レインボーブリッジの白いプレート。
写真8−2−5:レインボーブリッジの白いプレート(椎茸)。写真8−2−4:レインボーブリッジの白いプレート(小鳥)。写真8−2−3:レインボーブリッジの白いプレート(魚)。写真8−2−2:レインボーブリッジの白いプレート(蝉)。
 プレートを拡大したのが右の写真で、左から、山女(やまめ)らしき、鶯らしき椎茸で、何れもこの地方の特産です。
写真B8−1:奥大井湖上駅の「風の忘れもの」という鐘。
 この駅の背後の高台の上にはレイクコテージ奥大井という町営の無料休憩所が在り、2階の展望台からは接岨湖を一望出来るそうです。ホームにはコテージ(※3)というヨーロッパ風のイメージに合わす為か、左の様な「風の忘れもの」という鐘が設えてあります。何でも
  幸せを呼ぶ鐘:Happy Happy Bell

なのだそうで、ヨーロッパに憧れなどを抱いて居る”蛾”はここに誘われるという仕掛けです。

 駅を出ると列車はレインボーブリッジの残り半分を渡り、再び大井川を進行方向右手に見る右岸、即ち川根本町犬間に入ります。そして暫く行くと右手に真っ白で優雅な南アルプス接岨大吊橋(左下の写真)を見ることが出来ます。
写真B9−1:南アルプス接岨大吊橋。写真B9−2:接岨峡温泉駅付近の茶畑。
 この橋の上流側は茶畑で民家がぽつぽつ見え始めます(右上の写真)。

 間も無く接岨峡温泉駅川根本町犬間標高492m)に到着です。恐らくこの駅が井川線で最も乗降客が多いのではないか、と思われます。何しろ井川線で唯一の温泉街ですから。駅舎やホームも最も立派な造りです。
 左下がその駅舎で、井川の方を向いて見るとホームの左側に在りますが、温泉街へ行くにはホームの後ろ側(=千頭側)を回り込んで駅の右側に出て橋を渡って行きます。その為駅舎の出口に標識板を立ててあります。右下の写真の左端に見えている標識板の拡大が右下の写真です。標識板は人の指の形をして居て「市街地」と書き指差していて、表札には「接岨峡温泉駅」と書いて在ります。
写真B10−1−1:接岨峡温泉駅の駅舎。写真B10−1−2:接岨峡温泉駅の市街地を示す標識板。
 奥泉駅から私の車輌に乗り込んで来た人たちは全部ここで降り、車内は再び静かに成りました。
 ホームには鹿の料理を食わせるという民宿の看板も有りました。鹿などを食いたいですね(右下の写真)。

写真B10−2:接岨峡大橋と対岸の温泉街。
 左が温泉街へ通じる接岨峡大橋対岸の県道388号沿いの温泉街の様子で、ホームの木立の間から撮影しました。


  ◆接岨峡温泉〜関ノ沢橋梁



 接岨峡温泉駅を出ると直ぐに右の写真の吊橋(←調べたのですが橋名不明)が在りましたが、谷底は可なり深そうです!
 この橋は接岨峡温泉駅〜閑蔵駅(→後出)遊歩道が通じているという話ですから、多分そのコースに架かる橋だと思います。
 

 駅を出ると列車はトンネルに入り、それを抜けると直ぐに関ノ沢橋梁川根本町犬間、左下の写真)という、高さ100m −これは宮崎の高千穂橋梁105mに次ぐ高さ− の防護柵無しの灰白色の鉄橋に差し掛かり、ここから極端に減速して渡って行きます。橋を渡り切った向こう側に小さくトンネルが見えて居ます。この写真の右側の谷が接岨峡です。
 ★関ノ沢橋梁を渡るビデオを見たい方は▼左下又は右下の写真▼をクリックして下さい(size=1.11MB)。車掌の説明も聴けますよ!

写真11−1:関ノ沢橋梁を低速で渡る「あぷとライン」。写真11−2:関ノ沢橋梁から覗いた谷底。 橋の中央辺りから右側の真下を覗いた谷底の光景が右の写真です。車掌はここで盛んに高さ100mを強調して説明しますが、ご覧の様に橋の下には樹木が生い茂り谷底が見えないので然程の落差を感じませんでした。
写真B11−2:関ノ沢橋梁から覗いた関ノ沢。
 しかし左側の車窓からは100m下を流れる関ノ沢(左の写真)を見ることが出来、これには流石に落差を実感しました。これこそ井川線車窓風景の醍醐味です。大井川のV字谷(=接岨峡)の醍醐味を十分満喫しました。
 谷底ではミンミンゼミが鳴いて居ました。

            (-_*)

 関ノ沢を上流の方へ目で辿って行くと、手前の低山を越えた向こう側の斜面に大きな管と何かの設備が見えます(左下の写真)。この写真の左下部には列車と橋梁が写っていて、つまりは左側の車窓から後方を振り返った景色の中に、その設備が見えるのです。

写真11−3:関ノ沢橋梁から見える大きな導水管。写真B11−3:関ノ沢橋梁から見える大きな導水管の拡大。






←設備→
 ↑あぷとライン

 その設備をズームアップで撮影したのが右の写真です。大きな管はここより上流の奥泉ダムで取水した水を下流の奥泉発電所に送る導水管で、斜面の設備と比較して巨大な直径であることが判ります。
 それにしても高さ100mの超徐行運転は”緩り旅”の極致でしたが、私はあの吊橋を歩いて見たい!! 

  ◆尾盛駅 − 嘗ての工事用駅(今は無用な駅)

 接岨峡温泉の次は尾盛駅(おもり、川根本町犬間)ですが、ここは民家も道路も無い”本当の無人駅”(△1)です。信号場(※4)の様な感じのホームは嘗ての導水トンネル工事や井川線工事の為の工事用駅の名残で、今では殆ど乗降客も無く、無人駅と言うよりも”無用な駅”と言えましょう。
写真12−1:掘削跡が剥き出しのトンネル内壁。
 しかし車道が通じて無い為に井川線以外に交通手段が無く、鉄道マニアの間では逆に秘境度を高めているとか。信楽焼の狸がポツンと2〜3個だけ置いて在りました(写真は無し)。
 尾盛駅を過ぎると直ぐに長いトンネルに入りますが、右の写真の様に掘削跡が剥き出しのトンネル内壁をこの辺りで幾つか見ました。ゴツゴツと無骨ですが、井川ダム建設当時の男たちの荒々しい息遣いが聞こえて来そうで、私は好きですね。世の中綺麗事ばかりでは無いのです!

  ◆閑蔵〜井川 − ここから静岡市

 長いトンネルの後に幾つか短いトンネルを抜けると次の閑蔵(かんぞう)駅静岡市葵区井川)です(→復路を参照)。この閑蔵駅(←住所を参照)を境に静岡県榛原郡川根本町は終了、ここから先は静岡市葵区井川(旧・静岡市井川)、即ち井川地区に入ります。

写真B12−1:閑蔵駅の杉林。 [ちょっと一言]方向指示(次) 葵区という区名も平成の大合併(住所は肥大化)の産物です。即ち05年4月1日に静岡市と清水市が合併して政令指定都市の新しい静岡市が誕生しました。そして旧静岡市の海側が静岡市駿河区、山側が静岡市葵区に成り、旧清水市は静岡市清水区に成りました。

 駅は左の様な杉林の中の薄暗く寂しい所に在る無人駅ですが、この駅から接岨峡温泉遊歩道が通じていて、遊歩道を歩く少数の人たちが乗降します(→ホームは後出)。この遊歩道には2ルート有り、一つは「あぷとライン」の線路の対岸を平行し関ノ沢橋梁を対岸から望める渓谷沿いのルート、他は「ふれあい橋」を渡りトンネルを抜けて行くルートです。

 閑蔵駅を過ぎトンネルを抜けると直ぐに、谷底に奥泉ダムの堰が見えて来ます(左下の写真)。
写真12−2:奥泉ダムの堰。 井川地区に在るのに奥泉ダムとは何故か?、その答えはここで取水した水を先程の関ノ沢の導水管を通して水力発電を行う下流の奥泉発電所に送水して居るからです。このダムは木々の間から右手下方に少しの間見えるだけなので、谷底をずっと覗いて無いと見逃して仕舞います。しかし谷底をずっと覗く様な人は滅多に居ません!
写真12−3:大井川のV字谷(=接岨峡)。 前述の長島ダム後述の井川ダムは”観光客に見せる”為の意匠を凝らして居ますが、この奥泉ダムは”ダムとしての機能を果たす”為だけの無味乾燥なデザイン(左の写真)で、渓谷の中にひっそりと沈潜して居ます。
 右上の写真は、更に進み上流側から奥泉ダム方面のV字谷を振り返ったもので、「V字」という形容が納得出きる景観です。

 そして第一金山隧道というやや長いトンネルと短いトンネルを抜けると右手前方に井川ダムの堰とその背後にダム湖の井川湖が見えて来ました(右下の写真)。
写真12−4:井川ダムの堰とダム湖の井川湖。

 観光用施設としては屋上展望台を備えた中部電力の井川展示館(無料)などが在ります。

 この後短いトンネルを抜けると終点・井川駅に到着です、1時間45分の”緩り旅”は如何でしたでしょうか?!

  ◆井川駅

 井川駅、ここは静岡市葵区井川標高686mです。ここで下車したのは10数人、これは奇しくも千頭駅で乗った人数と同じです。途中奥泉駅で20〜30人位乗りましたが接岨峡温泉駅で20〜30人位降りたからです。
 私は改札で女性の駅員に切符を渡して外に出ると、直ぐ正面に「南アルプス表登山口」の標識(左の写真)が立ち標高が記されて居ます。
写真13−1:井川駅の標高を示す標識。写真13−2:井川駅傍の発電所説明板と井川展示館案内板。
 駅舎にへばり付く様に小さな土産物屋が在り、その横には右上の様な中部電力の発電所説明板井川展示館案内板が掲げてあります。
 登山やダムや井川湖の見学など、何をするにも一旦は下の県道388号迄降りる必要が有ります。県道のバス停からは更に奥地の畑薙第1ダムとJR静岡駅・静鉄の新静岡を結ぶ路線バスが発着して居ます。さて、どうするか?
 私は千頭15時23分発のSLの急行券を既に購入してあり、千頭駅であれこれ見学する予定です。そうすると井川(12:37)→千頭(14:21)に乗る必要が有ります、その次の井川(13:12)→千頭(15:04)では千頭駅で見学出来ません。展示館やダムの見学に興味の無い私は先程の女性駅員に尋ねました、「何か面白い所は在りませんか?」と。

 すると「井川湖渡船が出て居ます」との返事です。この渡船は静岡市運営の道路代替船、つまり井川地区の市民の”足”の為に無料で、定員20名の船が井川本村との間を1日に数回往復します。これって私が走破した大阪市営の渡船と同じです。しかもその内幾便かは観光客の為に湖の北端に架かる井川大橋(=車の通れる吊橋)を巡り湖上を周遊し、これも無料にするとのことです。

 本村はこちら側の岸を湖の中程迄行った所に在り、静岡市役所の出張所が置かれ井川地区の行政の中心地です。所要時間は

  井川ダム(井川駅側)←・・・・・・→井川本村:約15分
  井川ダム(井川駅側)←(井川大橋)→井川本村:約45分
             但し、橋では乗降不可


です。で、往復の出発時刻を聞いたら

  井川ダム(11:15)→井川本村(12:00)、井川本村(12:05)→井川ダム(12:45)

とのこと、ムーッ、これは無理!、私は已む無く断念しました(→その後秋に寸又峡に行く事に成ったので、千頭見学を止めて井川(13:12)に乗るべきだったか、と少し後悔して居ます)。

 断念と決まったら直ぐ引き返そうと金谷迄の乗車券を買い、往路乗って来た列車の折り返し11時3分発に乗ることにしホームに戻りました、出発迄7〜8分有ります。私は先程下車する時にちらっと目にしピンと来ていた”終点の先”のトンネルに真っ先に駆け寄り写真を撮りました、左下の写真です。案の定これが嘗て井川ダム建設時に使われた貨物専用の堂平駅へ通じるトンネルで、1971年に廃線と成った今も堂平へ続く線路は残存して居ます。トンネル入口は半分覆われ何故か駅員が立って中を見詰めて居ました。
 ホームには井川線のトンネル位置表示板(右下の写真)も有り、千頭側から番号を振って居ます。井川駅手前が61番、つまり25.5kmの間に61個のトンネルが在るということで、山奥の辺境鉄道の面目躍如です。ところで、井川駅の下に描かれて居るキャラクターは何でしょうか?!
写真13−3:井川駅から見える貨物専用の堂平駅へ通じるトンネル。写真13−4:井川駅に在る井川線のトンネル位置表示板。
写真13−5:復路の下り勾配を牽引するDD20型ディーゼル機関車。
 そして右が入線して来る11時3分発の千頭行き列車ですが、堂平へ通じるトンネルから出て来たのでは無いですゾ、ウワッハッハッハ!
 先頭は往路で尻にくっ付いて来たDD20型ディーゼル機関車(=千頭駅でご紹介した車輌)で、違いは「南アルプスあぷとライン」のヘッドマークを前面に掲げていることです。往路では尻から”後押し(=推進)”をして来ましたが、復路の下り勾配では牽引します。
 私は往路とは別の車輌に乗り込みました。

 ■井川線あぷとライン”緩り旅” − 井川への復路

 往路の車窓から粗方見て来ましたので、復路では特徴的な風景のみをご紹介します。

  ◆閑蔵駅で対向車待ち合わせ

写真C1−1:閑蔵駅の杉林の中で対抗列車待ち。
 井川駅を発って次の閑蔵駅で早くも対向列車の待ち合わせです。左の写真は杉林の中の薄暗い駅に、井川行きの対向列車 −先頭は勿論クハ600型制御客車です− が侵入して来る所を、右側の車窓から撮りました。

  ◆長島ダム駅手前で県道と交差
写真C2−1:長島ダム駅手前で県道388号の下を潜る。


 ひらんだ駅を過ぎトンネルを抜けると直ぐに交差する県道388号の下を潜り抜ける地点(右の写真)が在り、この後やや長いトンネルを抜けると長島ダム駅です。

  ◆長島ダム〜アプトいちしろ:アプト区間(下り勾配)

 長島ダム駅で、例に依ってED90型アプト式電気機関車を先頭(=坂下側)に1輌 −上り勾配の往路は2輌でした− 連結します(左下の写真)。
写真C3−1:長島ダム駅でED90型アプト式電気機関車を先頭に連結。
 駅員の横に子供の”蛾”が2人寄って見て居ます。私は往路で連結場面を充分見たので見に行くことはしませんでした、アッハッハ!

 間も無く列車が動き出しました。すると直ぐに右側にが見えました(右の写真)。中々楽しませてくれます。
 


写真C3−2:アプト式機関車の制動で急勾配を下る「あぷとライン」。
 左が走っている機関車と客車で、アプト式機関車が先頭で牽引して居ますと言いたい所ですが、否、急勾配を下る訳ですから牽引では無く制動です。歯車の力で列車全体の重量を支えブレーキを掛け乍ら進むのです!

 つまり下り勾配では先頭の機関車で

  通常区間 :DL(牽引)
  アプト区間:1輌のアプト式EL(制動)

の様に下ります。

 [ちょっと一言]方向指示(次) 1986年に大鐵と姉妹提携した台湾の阿里山鉄道(※5)は、03年3月1日に下り勾配でスピードの出し過ぎ −原因はブレーキ故障− で、死者10数名/負傷者170名以上の大事故を起こして居ます。

写真C3−3:アプトいちしろ駅で切り離されたアプト式電気機関車。 我が大鐵の「あぷとライン」は無事に次のアプトいちしろ駅に到着し、ここでアプト式機関車を切り離しました。
 右はお役御免と成り既に引き込み線に戻ったED90型アプト式電気機関車で、再びディーゼル機関車の牽引で動き始め脇を通過する時に撮りました。
  ◆千頭へ

写真C4−1:奥泉駅南西の山。写真C4−2:千頭駅前の車道の踏切。 奥泉駅を過ぎた辺りで左の車窓の前方の南西の方角に形の良い山(左の写真)が見えましたが、位置も定かで無く山名は不明です。
 そしてやっと街らしい雰囲気に変わり、間も無く千頭駅前の車道の踏切(右の写真)を渡ります。
写真C4−3:井川線千頭駅。
 こ踏切を越えると左の写真の様に線路が交差し前方にホームが見えて来て、漸く12時45分に千頭駅に到着です。
 効率を無視した井川線往復”緩り旅”はこれで全て完了です。

 私はこれから千頭駅でSL資料館や旧国鉄赤谷線から貰い受けたという転車台(ターンテーブル)を見た後に、15時23分発のSL急行「かわね路号」に乗って金谷迄帰ります。

 ■結び − 時間を使うことの貴さ

 お金を使うことも贅沢には違い無いですが、世の中には”カネで買えないもの”が有ります。その一つが時間です。
 もし貴方(貴女)が「大金持ち」だと仮定して(←実際に「大金持ち」の方には大変失礼ですが)、自分に時間が無い時にカネで他人の時間を買って自分の楽しみに使うことが出来ますか?、自分の寿命に他人の寿命を買い足すことが出来ますか?
 或いは東京〜大阪間を飛行機や新幹線で1日で往復するのと、弥次喜多道中の様に徒歩で何日も掛けて旅するのと、どちらが豊かだと思いますか?、或いは速く往復して余った時間を豊かに使って居ますか?
 そう、「時間を使う」ということは「掛け替えの無い自分の寿命を消費」することなのです。消費した時間は戻って来ません、カネで買い戻すことも出来ません。だからこそ「時間を使う」ことは貴いのです。初めの方で記した様に「車で30分で行ける千頭〜井川間を「あぷとライン」は何と3倍半の1時間45分も掛けて走る」のです!!

写真e:走行中の「南アルプスあぷとライン」の窓から顔を出す私。 今回の”緩り旅”は私にとって「時間の貴さ」を実感出来た有意義で豊かな旅でした。何故なら私は自分の寿命の一部と引き換えに「感動」という至福の体験を心に刻むことが出来たからです。この「感動」は何時しか「良い想い出」に育つことでしょう!!

 左の絵は往路で奥泉駅に着く手前の私の自画像です。写真は「私自身の写真集・海外と日本編」にも載って居ます。
 それでは皆さん、次は愈々SLですゾ。<その3>「SL道中記」編で又お会いしましょう!
 まぁ、その前に「川根茶」を一杯どうぞ!

                (+_@;)
                ┌U_

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φ−− つづく −−ψ

【脚注】
※1:アプト式軌道(―しききどう、Abt system railway)とは、スイス人アプト(R.Apt)(1850〜1933)の発明した特殊の鉄道。急坂を上下する時、滑りを防ぐ為に軌道の中央に歯を刻んだレール(ラック・レール)を設置し、動力車に取り付けた歯車と噛み合わせ進ませる。

※2:これは紛らわしいので、大井川鐵道も「上り」「下り」の用語は余り使用せず、「××行き」とか「××方面行き」という用語を用いて居ます。

※3:コテージ(cottage)は、山小屋。別荘。コッテージ。

※4:信号場(しんごうじょう、signal place)とは、列車の行違い・待合わせなどをする為に待避線・信号機などを設けた場所。JRでは停車場の一種とする。

※5:阿里山(ありさん、Alishan)は、台湾嘉義市の東部に在る山。又、玉山(新高山)の西方一帯の山地の総称。主峰大塔山は標高2663m。檜の良材で名高い。

    (以上、出典は主に広辞苑です)

【参考文献】
△1:「大井川鐵道(株)」公式サイト。

●関連リンク
サブページ(Sub-Page):「あぷとライン」が関ノ沢橋梁を渡るビデオ▼
ビデオ−大井川の関ノ沢橋梁(VIDEO - Sekinosawa Bridge of Oi-river)
勾配パーミルの角度変換計算や信号場について▼
2005年・伊勢鹿伏兎城(Ruins of Kabuto castle, Mie, 2005)
無料運転する大阪市営の渡船▼
大阪市の渡船場巡り(The wharves and ferries of Osaka city)
井川線あぷとラインの奥泉駅に着く手前の私の写真▼
私自身の写真集・海外と日本編(My own PHOTO album in overseas and Japan)


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