温故知新について
[「日本再発見の旅」を考える#2]
(Discover something new in the past)

−− 2003.04.28 エルニーニョ深沢(ElNino Fukazawa)
2003.12.30 改訂

 ■はじめに

 この「日本再発見の旅」のコーナーに、【日本の「旅」論】というカテゴリーを新設し、その中の「日本再発見の旅」を考える−第1作として
  「日本再発見の旅」の心(Travel mind of Japan rediscovery)
という論考で日本の「旅」についての私の基本的考え方を載せました。これは”以前から私の想い描いて来た日本の「旅」”のイメージであり、又当コーナーの基本コンセプトなのです。
 ところで、当コーナーに今迄日本国内の旅の旅行記(の様なもの)を幾つか掲載して来ましたが、殆どが「温故知新」(※1)というカテゴリーに括られます。何故「温故知新」なのか?、と疑問に思われた方も居られるでしょう。私の「日本再発見の旅」が全て「温故知新」という訳では無いので、今後は必要に応じて新たなカテゴリーを追加するかも知れませんが、今迄発表して来たものは「温故知新」が中心的テーマでした。
 実はこの「温故知新」が、私の日本に於ける旅の大きな要素であり、当コーナーのもう一つのコンセプトでもあります。しかし先の第1作では敢えて触れませんでした、それは先ず「日本再発見の旅」というメイン・コンセプトを確りと提示したかったからです。
 そこでこの第2作では「温故知新の旅」について、私の想いを語ることにしましょう。

 ■日本らしさとは

 本論に入る前に、少し外国旅行の話をしましょう。例えば中国について言えば、中国は現在経済開放政策で成長を続け指導部も若返り、2008年の北京オリンピックに向け着々と近代化を遂げて居ます。特に経済開放の中心地・上海の変貌は目を見張るものが有ります。又この勢いに引っ張られる様に、例えば少数民族の宝庫と言われた雲南省でも、主だった都市には近代的なビルが立ち並び、最早”辺境”のイメージは有りません。
 昔の中国を知る日本人旅行者は良く「もう中国は詰まらない、中国らしさが段々失せて行ってるから」と言います。私も同感です。同感なのですが、私はフッと、じゃ日本はどうなんだ、と思って仕舞うのです。
 人間は外国のことは外から客観的に見れますが、自国についてはどうしても内側から主観的に見て仕舞います。翻って日本について冷静に見れば、日本に来る外国人から見て”日本らしい”所はどれ程在るのでしょうか?
 アジアで先頭を切って”近代化”を遂げた日本、コンビニエンス・リッチに成った日本に「日本らしさ」を求めるとすれば、田舎の奥深くへ行くか、神社仏閣へ行くしか無いでしょう。事実そういう奥まった所に外人が入って陶芸などをして居ます。
 [ちょっと一言]方向指示(次) コンビニエンス・リッチ(convenience rich)とは、私の造語です。GDPは世界トップクラスですがプール付きの豪邸に住んで居る人など殆ど居ないのが現状です。コンビニエンス・ストアやファーストフード・ストアが沢山出現した為に、単なる便利さを豊かさと”勘違い”して居る、という皮肉を込めた言葉です。

 私が日本国内の旅を敢えて「日本再発見の旅」と銘打っているのは、外国人に「日本にはこんな好い所が在りますよ」と言える様な”日本的”な何かを提示したい、そして日本人にも「もう一度”日本の良さ”を見直しましょう」と言いたい、という思いからなのです。この事を具体的に数字で見て戴きましょう、主要各国の外国人訪問者数の比較です。データは世界観光機関(WTO)の2000年度の統計です(何故かロシアが入って居ませんが)。

        <主要各国の外国人訪問者数の比較表>

    フランス     約75,595千人     1位
    アメリカ      50,891       2
    スペイン      47,898       3
    イタリア      41,181       4
    中国        31,229       5
    イギリス      25,209       6
    メキシコ      20,641       7
    カナダ       19,650       8
    ドイツ       18,983       9
    オーストリア    17,982      10
    ポーランド     17,400      11
    ハンガリー     15,571      12
    香港        13,059      13
    ギリシャ      12,500      14
    ポルトガル     12,097      15

    マレーシア     10,222      17
    タイ         9,579      20
    シンガポール     6,258      24
    韓国         5,322      26
    インドネシア     5,064      30
    オーストラリア    4,946      32
   ●日本         4,757      33
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
    全世界      697,452千人

という具合です。
 この数字を見れば、外国人が日本のことを「日本は経済大国ではあるが、文化的にはわざわざ行ってみる程の物は無い、皆欧米の猿真似ではないか」と腹の中で思っていることが推測出来ます。日本からの海外渡航者は18,000千人(=1千8百万人)も居るのに、です。つまり日本は「観光」という点から見れば、3倍強の訪問客の出国超過で完全に観光後進国であり(香港、マレーシア、タイ、韓国、インドネシアより下位)、言い換えれば「外国人を来させる魅力」に乏しいという事に成ります。何故乏しいのか?、そこで私は皆さんに以下の質問を提示したいのです。
 東京ディズニーランドや大阪ユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)も結構ですが、これが日本固有の文化だ、と胸を張って外国人に言えますか、例えばアメリカ人がわざわざ東京ディズニーランドを見る為に日本に来ると思いますか、外国人旅行者はやはり日本固有の風物を見たいのではないですか、先程導入部で引用した「中国が詰まらなく成った」と言った日本人は、自分の住んで居る日本の現状をどう思っているのでしょうか、それとも住む所と観光で行く外国とは区別して考えているのでしょうか
 上の質問に対する答えは人それぞれに異なると思いますが、前記の統計値も考え合わせた私の答えはこうなります。私の場合、「外国人を来させる魅力」とはやはり「日本固有の文化の薫り漂う風物」であり、それを突き詰めて行くと結局は「旧き佳き時代のモノとコトと心を知る=温故知新」という事に成ります。日本文化の固有性ということに想いを致せばどうしても文化の礎(いしずえ)としての過去に立ち返らざるを得ないのです。これが私の「日本再発見の旅」の中で「温故知新」を中心的テーマにして居る理由です(→「その後」の章を参照)。

 ■日本の立場、日本人の立脚点

 ところで「日本人の立脚点」を考えると、現在進行形で日本人が作り出しているモノに日本的な香りのするものが殆ど無い、というのが近・現代日本の大きなパラドックスでありコンプレックスなのです、悲しい事ですね。
 しかしここでは何故そう成って仕舞ったか、についてはこれ以上論評はしません。唯、次のことだけは言って置きましょう。”日本的”なモノがオーソドックス(=グローバル・スタンダード、※2)に成り得ず、エキゾティシズム(※3)の面しか評価されない点が正に、国際社会の中での今の日本の立場なのだ、ということは確り認識して置く必要が有ります。それがジャポニスム(※3−1)です。そしてこの立場は日本だけで無くアジアやアフリカや中近東の諸国と共通だ、ということも。更には、戦争の勃発などで時として異国趣味(=エキゾティシズム)は正統派(=オーソドックスの側)から異端(※2−1)とされて来たという歴史認識も必要です。
 [ちょっと一言]方向指示(次) 何故、近・現代の日本が文化的にパラドックスでありコンプレックスなのか、はここでは省かせて貰います。この問題を論を尽くして語ると文化論そのものに成り、恐らくルース・ベネディクトの『菊と刀』や土居健郎の『「甘え」の構造』や吉本隆明の『共同幻想論』、更にはGHQの占領政策から明治維新論に迄話が及び、完全に【日本の「旅」論】から逸脱して仕舞うからです。
 良く漫画やアニメ映画を日本が誇る文化だという主張を耳にします。日本が制作して海外で売れて居るという点でそう言っているのでしょう。作品製作の過程で日本オリジナルな技法が考案されて居るとも言われて居ます。しかし、日本オリジナルだから日本の香りがする、とは短絡的に言えないのです。私はやはり題材表現が重要だと考えます。確かに「もののけ姫」や「千と千尋の神隠し」などは日本的題材を扱い日本的情緒や感性を表現して居ます。しかし他の多くの日本の漫画やアニメの題材や表現は寧ろアメリカナイズされて仕舞っていて、日本的なモノとは何ぞや?、と問われると答えに窮する状態です。上記の宮脇駿の2作品が海外で評価されたという事実は、外国人はやはりこういう作品を”日本的”と思っていることの証です。外国人が考える”日本的な”モノとはやはり「欧米に無い何か=エキゾティシズム」であるのは確かです。


 世界のトップランナーとして新たな地平を切り開く文明を持つ国のみがオーソドックスに成れる訳で、後ろを走る国はグローバル・スタンダードを受け入れつつ、自国のアイデンティティー(※4)をエキゾティシズムの中に確立して行かざるを得ない立場に在るのです。日本人がこの事を自覚することが「日本らしさ」「日本人らしさ」を取り戻す出発点です。端的に言えば明治の頃言い習わされた「和魂洋才」(※5)です。これは単なる折衷では無く、「和魂」(=日本人の心)を保ち「洋才」(=欧米の文明の利器)を使い熟(こな)す事が肝要です。「和魂=大和魂」を喪失した状態が現在の日本ではないでしょうか?!
 [ちょっと一言]方向指示(次) アイデンティティーという語は日本語で説明し難い言葉です。辞書を引くと、自己又は集団の「同一性」、自己又は集団の「存在証明」(※4)のことです。「同一性」とか「存在証明」と言っても、日本人には馴染み薄くピンと来ない感じです。しかし外国(=知らない土地)を旅して居る時に別の日本人(=同郷人)に会うと安心するということを思い出せば解り易いでしょう。日本は羊水(※6)の様に周りを海に囲まれて居る「羊水国家」なので日本人が日本に閉じ籠もっている限りアイデンティティーなどは意識しないで済みますが、それは或る意味で幸せな事だと感謝する必要が有ります。しかし日本の中でも在日系の人は常に祖国のアイデンティティーを意識して居る筈です。そういう意味で日本人がアイデンティティーの大切さを殆ど理解出来ないのは、「羊水国家」の為せる不幸な結果と言わざるを得ません。

 「オーソドックスとエキゾティシズム」という問題は同時に「グローバリズムとローカリズム」或いは「メジャーとマイナー」の問題と密接な関連を持って居ます。茶髪・金髪に染めて何処かの覇権国家(=メジャー)の人間の格好を真似ても、結局は”醜いアヒルの子の背伸び”に過ぎずマイナーだ、ということです。それのみならず自己の立脚点を失い、個性を失い、アイデンティティーを失って行く愚行なのです。そう成らない為にも、今の日本人は日本文化の固有性に気付き謙虚な気持ちで日本再発見をする時期に来ていると考えます。

 ■温故知新の心

 それにしても日本の古代、中世、近世とは何と不思議な時代だったのでしょう!
 一般には封建時代や鎖国時代として否定的に見られ勝ちなこの時代、しかし日本固有の文化は四方の海に守られ少しずつ芳醇に発酵を続け、憧れと神秘の「不思議の国ジパング」として世界にその名を知られて居たのです。明治維新を境に”近代”の文明を手に入れた代わりに日本固有の文化を”前近代”として放棄し、徐々に個性の無い平板な国に成って仕舞った以後の軌跡と照らし合わせると好対照です。ですから外国に無い日本的な風物、日本固有の文化の薫り漂う風物、に触れようとするとどうしても明治以前(=近代以前)の遺物に向かわざるを得ないのです。
 日本人が古いものとして捨て去って来たものの中に、実は日本人のアイデンティティーが沢山詰め込まれて居たのです。例えば、西洋の音楽はその管弦楽法に於いて東洋の音楽をはるかに凌ぐ大変素晴らしいものですが、一方夜鳴く虫の音(ね)を「音楽」として楽しみ、月を映して酒を飲みつつ和歌を詠む、という日本人の感性を見逃しては行けません。西洋人がチューリップや向日葵(ひまわり)の様な咲き誇る草の花を好むのに対し、日本人や中国人は梅や桜や藤の様な木の花を愛(め)で、木の幹と共に賞美して来ました。日本や中国では木は水墨画や盆栽という形に昇華して居ます。これは西洋の遺跡や建築が石の文化であるのに対し、東洋は木の文化であることと無関係では無いでしょう。民族のアイデンティティー、それは心の故郷(ふるさと)として我々が何かで疲れた時安息を求めて最後に帰る場所でもあるのです、それは屹度子供の時の朧な記憶の中に在る風景と重なるに違い有りません。しかし、今の子供たちの周りには日本固有の文化の薫り漂う風物が有りませんね、この子供たちが年老いた時、心の故郷として果たして何を想い起こすのでしょうか?
 一つの民族が自らのアイデンティティーを失った時、他民族に支配されるしか無いことは歴史の教訓です。
 [ちょっと一言]方向指示(次) 今世界各地域で紛争の種に成っているのは詰まる所全てアイデンティティー問題と言って過言ではありません。イスラエル、パレスティナ、クルド、アフガン、パキスタン、朝鮮半島、アルバニア、ソマリア、リベリア、全てそうです。一旦失われた民族的アイデンティティーを取り戻すには、それこそ死を覚悟して戦争を戦い抜かなば為りません

 物質的に豊かに成った日本人が”足るを知らず”(※7) −「足るを知る」老子(※7−1)の言葉です− 更なる拝金主義に陥って、自分を見失っている今日の姿は正にアイデンティティー無き民族と言えましょう。今日本は事実上何処かの覇権国家の属国に成って居ませんか?、日本の皆さん!

 ■結び − 日本固有の文化は朱鷺の舞いの如し

 以上の様な意味で私は、古(いにしえ)を訪ねて新たな発見をする「温故知新」という言葉を非常に良い言葉だと思っているのです。この狭い日本の気候風土と調和して形成されて来た日本固有の文化は、恰も朱鷺(とき)の舞い −朱鷺の学名はニッポニア・ニッポン(※8)− の如く繊細で気品に溢れて居ます。私たち日本人はそこから何かを汲み取って新しい文化に伝統の血を注いで行く使命が有ると思います。今私は世界でも稀有の日本文化を朱鷺の様に絶滅させては行けないという思いで一杯です(→「その後」の章を参照)。
 それ故に私は「日本再発見の旅」の中心命題に「温故知新」を据えることにしたのです。古(いにしえ)を訪ね、その中から失われた「和魂=大和魂」を復元したいのです。そして日本人が日本のことをもっと理解し、日本の良さを外国人や次の世代の子供達に説明し伝えて行ける様にしたいものです、私はそれを願って居ます。既に発表して在る幾つかの旅の記事は私のその様な願いを込めて書いた積もりですし、これからもこの基本線は変わることは無いでしょう。

 尚、[「日本再発見の旅」を考える]シリーズの他画面への切り換えは最下行のページ・セレクタで行って下さい。(Please switch the page by page selector of the last-line.)

 >>>■その後
  ●日本の観光行政に変化の兆し有りか?!
 当ページの本文の「日本らしさとは」の章の中で、私は具体的な数字を挙げて日本が観光後進国である事を指摘しましたが、それから3ヶ月位後に小泉内閣が外国人観光客の倍増を狙って「観光立国行動計画=ビジット・ジャパン計画」を打ち出しました。つまりは日本の観光行政の立ち遅れを認めた訳ですが、その計画についての詳論
  日本の観光立国行動計画とは(The VISIT JAPAN program)
を掲載しました。この論考は当ページ −中でも特に「日本らしさとは」の章− を補完する内容に成って居ますが、逆に当ページの先見性の証です。先見性は当サイトのコンセプトの一つです。
    {この記事は03年9月14日に追加}

  ●日本の朱鷺、絶滅す!
 「結び」の章で「日本文化を朱鷺の様に絶滅させては行けない」と書いた03年4月28日時点では、佐渡のトキ保護センターに於いて日本産の野生朱鷺の最後の雌(♀)が辛うじて生き残って居ましたが、03年10月10日に最後の雌が死亡し日本産の野生朱鷺は完全に絶滅しました(※8の補足)。
    {この記事は03年12月30日に追加}

φ−− 完 −−ψ

【脚注】
※1:温故知新(おんこちしん)とは、[論語為政「温故而知新、可以為師矣」](古い事柄も新しい物事も良く知っていて初めて人の師と成るに相応しい意)昔の物事を研究し吟味して、そこから新しい知識や見解を得ること。「故(ふる)きを温(たず)ね新しきを知る」

※2:オーソドックス(orthodox)とは、(ギリシャ語で「正しい意見」の意)
 [1].伝統的な正しいと是認された教義・学説・方法論を受け継ぐ様。正統的。「斯界の―」「―な考え方」。←→異端の(heterodox)。
 [2].(特に宗教上の)正説[を奉ずる]。正統派
※2−1:異端(heterodoxy)とは、正統から外れていること。又、その時代に於いて正統とは認められない思想・信仰・学説など。「―の説」。←→正統(orthodoxy)。

※3:エキゾティシズム(exoticism)とは、異国趣味。異国情緒。エキゾチシズム、エキゾチズム。
※3−1:ジャポニスム(japonisme[仏], Japanism[英])とは、日本趣味。日本贔屓。日本[人]的特質。特に19世紀後半のフランスで、浮世絵の移入やパリ万国博覧会の出品物に因り流行したもの。印象派の画家などに影響を与える。

※4:アイデンティティー(identity)とは、同一性。存在証明。
 [1].狭義には、人格に於ける存在証明又は同一性。或る人が持つ「自分が自分である」という意識の一貫性が時間的・空間的に成り立ち、それが他者や共同体からも認められて居ること。自己の存在証明。自己同一性(又は自我同一性)。
 [2].広義には、集団に於ける同一性を指す。或る共同体の構成員が他の共同体とは異なる同一性や親近感を互いの裡に認め合うことが出来、それに依って強い同属意識(又は帰属意識)や絆で結ばれ、同じ立脚点に立って共通の目標や価値観を持つことが出来ること。「民族の―」「企業の―」。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>

※5:和魂洋才(わこんようさい)とは、(明治時代に「和魂漢才」を捩った語)日本固有の精神と西洋の学問。日本固有の精神を以て西洋の学問・知識を学び取ること。

※6:羊水(ようすい、amniotic fluid)は、羊膜(=昆虫類・爬虫類・鳥類・哺乳類の羊膜類に在る胚膜の一つ)の内側を充たす透明な液。胎児を保護し、又、分娩時に流出して出産を容易にさせる。羊膜液。

※7:「足るを知る」即ち知足(ちそく)とは、[老子第三十三章「知足者富」]現状を満ち足りたものと理解し、不満を持たないこと。
 「足るを知らず」とはその逆で、何処迄も際限無く欲望に捕り憑かれること、又はその状態を言う。
※7−1:老子(ろうし)は、中国、春秋戦国時代の思想家(前579頃〜前499頃)。道家の祖。史記に拠れば、姓は李、名は耳、字はタン又は伯陽。楚の(河南省)の人。周の守蔵室(図書室)の書記官。乱世を逃れて関(函谷関又は散関)に至った時、関守の尹喜(いんき)が道を求めたので、「老子」を説いたと言う。

※8:鴇/朱鷺(とき、ibis)は、コウノトリ目トキ科の鳥。学名ニッポニア・ニッポン。東アジア特産。全長約75cm、嘴は長大で下方に曲る。全体白色であるが、羽毛、殊に風切羽と尾羽の基部は淡紅色(朱鷺色)。後頭に冠毛が有り、顔は裸で赤色。脚も赤い。朝鮮・中国・日本に分布して居たが、その数は激減し絶滅の恐れが有る。日本では佐渡に残った5羽を1981年に捕獲し、飼育下で繁殖を試みたが成功せず、98年現在、1羽が残るのみ。特別天然記念物国際保護鳥に指定。桃花鳥。つき。とう。どう。新潟県の県鳥。
 補足すると、その後1999年に中国から佐渡のトキ保護センターに送られた番(つがい)から繁殖し03年10月に30数羽に成りましたが、03年10月10日に日本産野生種の最後の雌が死亡し、日本産の野生トキは絶滅しました。

    (以上、出典は主に広辞苑です)

●関連リンク
参照ページ(Reference-Page):先見性は当サイトのコンセプトの一つ▼
当サイトのコンセプトについて(The Concept of this site)
参照ページ(Reference-Page):虫の音について▼
資料−昆虫豆知識(Insect Trivia)
補完ページ(Complementary):日本の観光行政について▼
(「文化の固有性」や民族のアイデンティティーにも言及)
日本の観光立国行動計画とは(The VISIT JAPAN program)
補完ページ(Complementary):「文化の固有性」についての私の見解▼
世界遺産登録で本当に遺跡や文化が守られるのか?(World heritage)
日本経済の現状について▼
デフレ論議に疑問を呈す(Is our DEFLATION true ?)
コンプレックス論議▼
超甘コンプレックス論(Super sweet theory of COMPLEX)
日本=羊水国家論▼
「肉を食らう」ということ(Carnivorous life)
感謝する心の大切さ▼
2003年・年頭所感−感謝の心を思い出そう!
(Be thankful everybody !, 2003 beginning)

”醜いアヒルの子の背伸び”について▼
日本産アヒルと米国産白鳥(Japanese duck and American swan)
日本人の心の故郷を見直す為の実践▼
冷泉家時雨亭文庫(Reizei Shigure-tei library)
世界観光機関(WTO)について▼
外部サイトへ一発リンク!(External links '1-PATSU !')


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