訴訟の動機

 循環器内科外来担当S医師は、私の質問に回答をするものの、自分自身の責任については何も言いませんでした。
ずっと医局のほうだけを向いたままでした。

 2000年8月に新任の循環器内科D教授から電話があり、同年9月6日に亡母の一件につき会うことになりました。
この時、Y前教授(同年3月退職)も同席しました。その時「忙しいのに会いに来てやってる。こっちだって、傷ついている」との発言がありました。
β遮断薬の投与については「知っていたら使わなかった」と言いましたが、何を知らなかったのかということは言いませんでした。

 同年11月に、1年間のアメリカ留学を終えた院長(脳外科教授)と面談しました。私たちの意見の大筋については認める発言をしました。
そして、私たちの側から和解案を出して欲しいと言い、この提案を受け入れることにし、12月中に提示しました。
2001年1月に、J大学病院側は私たちの和解案を拒否しました。その理由は、J大学病院としては説明不足はあったかもしれないが、診療は間違っていなっかたので、陳謝状も出さないし、和解金○○○万円も出さない。 ということでありました。

 母の死後、1年以上にわたり、病気の解明と病院側の責任追及についての努力をしてきました。

 循環器内科S医師は診断の誤りに気づくことがないまま、またそれをチェックするシステムもなく、母の病状は悪化していきました。
院長(脳外科教授)の指摘で実施した心エコー検査で病気は発見されましたが、S医師はこの検査結果を一切言わず、また病院側は誰一人として、S医師の沈黙に注意を促すことはありませんでした。
母は、なすすべもなく亡くなりました。

 J大学病院側に、母に起こったことの重大さを自覚させ、反省を促すためにも、このまま放置するのは間違いと考え、訴訟の提起を決心し、弁護士に依頼することにしました。

2001年5月23日  証拠保全を実施

2001年10月22日 催告書をJ大学病院へ提出 一ヶ月以内に返事を要請

2001年11月22日 J大学病院の弁護士より当方の弁護士へ「現在検討中であり回答はしばらく待って下さい」とファックスにて返事あり。

2001年12月11日 当方の弁護士よりJ大学病院の弁護士へ電話をし、返事を催促

2001年12月12日 J大学病院の弁護士より当方の弁護士へ「12月25日、弁護士会館でお会いしたい」とファックスにて返事あり。

2001年12月25日 J大学病院の弁護士より当方の弁護士へ口頭で以下の返事あり。

 (1) 1999年3月〜4月には確定診断をすべきであったと思う。但し、そうであったとしても、解剖結果からすれば同じ結果-1999年8月31日死去-になったのではないか。

 (2) 医学的なことについては、然るべき専門医に意見を求めるなど検討した

 (3) 結果に影響がなっかたとはいえ、確定診断に問題があったこと、また前からの付き合いもあるので、和解金として○○○〜○○○万円を支払う用意がある。但し、遺族側から一定の線を出してもらえば、それを踏まえて改めて検討する。

2000年12月27日 当方の弁護士より私たちは12月25日のJ大学病院の返事を聞く。

2002年1月15日  私たちより当方の弁護士へ次のような回答を書面(1月13日付)にて郵送。

 1. J大学病院の(1)〜(3)の見解に対する私たちの見解

 (1) J大学病院の反省の如く3月〜4月に確定診断があったならば、必要にして十分な検査が実施出来、それにもとづく的確な症状の把握と転医を含む治療ができ、また、そうすることによってそれ以降の患者の症状の経過は明らかに催告書の内容とは違った結果になったと考えられ、J大学病院の見解は明らかに間違っている。

 (2) 私たちとしては、J大学病院が意見を求められた然るべき専門医がどのような方なのかうかがいたい。そもそも、J大学病院内部には専門医はいなかったと考えている。今回の件はそのために起こったのではないか。

 (3) 今回の件は、両者の過去の付き合いとは関係のない事案である。付き合い云々と言われるのであれば、まず第一にきちんと医療行為を行ってほしかったし、今回の件については、その非を認めて謝罪すべきである。これらは根本的には誠意の問題である。
また、私たちは起こった事実とその結果に対する補償の問題としてとらえている。
和解金として提示された金額は、当方弁護士もJ大学病院の弁護士に発言されているとおり、当然私たちは受け入れることはできない。但し、J大学病院がその非を認めて謝罪し、今後このような過誤を起こすことのないよう、最大限の努力をすることを約束するならば、金額については考慮する。
以上のようなことから、賠償金額は少なくとも○○○○万円を支払っていただきたい。

2. 私たちの提案

 基本的に催告書及び(1)〜(3)に示す私たちの見解に基づいて、以下の提案をJ大学病院に致します。もしこれが受けいられない場合には、私たちは訴訟に踏み切ることにします。

 1. J大学病院は
 イ. 確定診断が遅れ、死亡を招来したこと。
 ロ. β遮断薬の投与そのものの間違いに気づかず、使用に固執したこと。
 ハ. インフォームドコンセント、転医掲示及び転医勧告が行われなかったこと。を認め、深く反省するとともに、遺族側に謝罪する。

 2. J大学病院は今後このようなことのないよう最大限の努力する。

 3. J大学病院は損害賠償金として、遺族側に金○○○○万円を支払う。

2002年1月17日  当方の弁護士よりJ大学病院の弁護士へ私たちの回答を郵送。

2002年2月13日  J大学病院の弁護士より当方の弁護士へファックスにて返事あり。2月15日、双方の弁護士が会うことになる。

2002年2月15日  J大学病院の弁護士より当方の弁護士へ口答で返事あり。
            当方の弁護士より、私たちへその結果の概要をファックスにて報告あり。更に2月21日詳しい内容を聞くことになる。

2002年2月21日  J大学病院の弁護士の返答は以下の通り。

 (1) 金額は○○○万円、これ以上はとても無理。○○○万円の根拠は2000年12月に和解金として遺族側より提示したもので、○○○万円だったらまとめるが、○○○○万円ではまとめる自信はない。

 (2) 金額が○○○万円の場合謝罪文は、「J大学病院において診療内容に問題があったことを認める」との内容にすることは出来るが、遺族側手紙のイ、ロ、ハについては拒否する。その理由は○○○万円出す事は、診療ミスを認めたことになるのに、それ以上の謝罪内容を書くわけにはいかない。
 ○○○万円という金額は、ミスが無ければ出せない金額であり、上記のような表現であれば、具体的な内容に触れていないので、当事者以外には分かりにくいが、病院内の了解は得やすい。

 (3) 金額が○○○万〜○○○万であれば、遺族側手紙のイ、ロ、ハでよい。
この場合は例えイ、ロ、ハの内容を書いたとしても、金額面の判断として形式的でたいしたことはないといえるので、
病院内の了解を得やすい。

 (4) いずれにしても和解の事実及び内容については、公表しないことを約束してほしい。

2002年2月25日  私たちより当方の弁護士へ次のような回答を書面(2月24日付)にて郵送。

 私たちの考えとして、和解ということは、当事者間で真面目に問題の解決を計るということである。
2000年(平成12年)12月の私たちの提案たる○○○万円は、J大学病院が拒否したものであり、その当時と現在の状況は全く異なっており、○○○万円の当時の提案は無かった事にすべきである旨、既に述べている。
返答(2)及び(3)は全く病院側の内部事情のみを配慮した提案で、これを呑むことを当方に求め、対外的には不公表の約束によって、これを隠すという思惑が当方にみえみえであり、全体を貫いて全く一方的な提案になっているので拒否する。したがって、(2)及び(3)項への(4)の約束はできない。
私たちとしては、先方が真面目に(4)の採用を望むならば、当方案を受け入れることを条件に提案すべきと考える。

 私たちの結論
 以上のことから、両者の言い分は全く違っており、これ以上両者のみで和解の協議を進めることは、無駄であると考えざるを得ない。J大学病院の弁護士の提案もあったので、今一度私たちの見解を先方に伝え、再考を促すが、それが不調の場合は、本年1月13日の提示のごとく、訴訟に踏み切ることにする。(先方の返事は本状受け取り後10日以内を期限とする)

2002年3月8日 以後、私たちと当方の弁護士との種々打ち合わせの結果、3月8日付で、当方の弁護士よりJ大学病院の弁護士へ次のような回答を郵送。

2002年2月15日に先生とお会いしたときの内容を、依頼者にお話しし、検討いただきましたところ、次のとおりの意向が示されました。
これは、依頼者の受けた打撃を償い、慰謝するためにぎりぎりの線ですので、ご賢察のうえ、ご検討下さい。
本書到達後10日以内にご返事下さい。

 1. 基本的に、2002年1月13日付当代理人宛の書簡「(2)私たちの提案」を維持する。

 2. 上記「(2)私たちの提案」をJ大学病院が受け入れない現状では、2002年2月15日に先生から新たに提案のあった”和解の事実及び内容について公表しないことを約束して欲しい”という点についての諾否を決められない。

2002年3月12日 J大学病院の弁護士から当方の弁護士へ、ファックスで次のような返答があった。

 別紙の書面内容を検討中ですが、「2」項の内容が不明です。
 「”和解の…”という点に諾否を決められない」ということは、どのようなことでしょうか。○○○○万円を当方が受け
入れなければ検討できないということでしょうか。もしそうならば当方として、○○○○万円のことを検討する理由はないとも考えられるのですが。

2002年3月14日 私たちと当方の弁護士との打ち合わせの結果、3月14日付で次のような回答をJ大学病院の弁護士へ郵送。

 2項の「和解の…という点について諾否を決められない」という意味は、お便りをした当時(2002年3月8日)現在、J大学病院が1項に述べた「(2)私たちの提案」について、受け入れていただいておりませんので、公表について同意するかどうかの判断ができない、という趣旨です。
J大学病病院が1項について受け入れる用意があるなら、公表については前向きに考えるとの依頼者の意向です。

2002年3月18日 J大学病院の弁護士から当方の弁護士へ、ファックスで次のような返答があった。

 3月8日付書面の1項についての対応を検討中です。今しばらくの猶予をお願いいたします。

2002年4月1日 3月末までに、J大学病院の弁護士から返答がなかったので、以下の内容を当方の弁護士へファックスをした。

 その後既に約二週間を経過していますが、何の音沙汰もありません。このことは先方が当方として気長に返答を待っていると受け取っているのかとも疑いたくなります。事実今までの経過で、当方から期限を切ると、その日に何らかの意思表示をするが、それがないと、当方から督促の連絡がない限り放置しているとしか考えられません。
 月も変わった現在、もはや今回の和解交渉をこれ以上続けても無意味との結論に達しました。
従いまして、先日先生から4月3日頃先方に電話をしてみると言うことでしたのでそれまで待ちますが、その時には、当方として今回の和解交渉はこれで打ち切ると先方にお伝えください。
 これ以上私たちは更に話を続ける意欲はありません。

2002年4月3日 当方の弁護士からJ大学病院の弁護士へ電話をしたが、留守。後刻、J大学病院の弁護士より電話。「前向きに検討をしているので、8日まで待って欲しい旨」と回答。当方の弁護士は「依頼人から提訴の準備をして欲しいといわれている。そちらの返答は依頼人に伝える。」と返答。
当方の弁護士より私たちに連絡あり。更にこの件の内容につき打ち合わせをしたいので、4日午後5時に事務所に来て欲しい由。
私たちは承知したが、念のため次の内容を検討の上、明日朝、当方の弁護士宛にファックスすることにした。

 以下の4点を私たちの意見として先方にお伝えください。

 8日に先方から返事があると伺いました。
 私たちから督促しなければ返事がないのは、まことに遺憾であります。
 提訴の準備は続行します。
 8日に満足すべき回答のない場合、今回の交渉は打ち切ります。

2002年4月4日 当方の弁護士事務所にて打ち合わせを行い、上記の内容を4日中にJ大学病院の弁護士へファックスし、8日まで先方の回答を待つことにした。

2002年4月8日 当方の弁護士事務所よりファックスあり。J大学病院の弁護士の回答は以下の通り。

 病院として、いろいろ慎重に検討させていただきました。その結果残念ながらO氏側の要求には応じられない
 裁判で第一歩から争う、ということになりました。裁判では過失の点から主張させていただきます。
 回答が遅れましたことお詫び申し上げます。よろしくお願いいたします。

J大学病院では、4月1日より院長が交代しました。

2002年4月25日  東京地方裁判所に訴状を提出しました。