被告第1準備書面


 以下は、2002年7月10日に被告側代理人より提出された準備書面である。固有名詞は必要に応じてイニシャルとした。


第1 請求の原因に対する答弁

1 1項のうち、被告Sが亡E子の主治医として治療を担当したものである点については、その治療担当時期が不明であるので認否を留保し、原告らと亡E子の身分関係は不知、その余は認める。

2 2項(1)について

(1) 2頁「亡E子は脳神経外科での」から「又週1回のリハビリに通院していた」までは認め、「亡E子は階段を昇ったり」から「疲労感も訴えていた。」までは不知。

(2) 3頁「平成10年12月15日」から「次回の予約を平成11年1月5日にした。」までは、「その旨を訴えたところ」の「その旨」が不明なので認否を留保し、その余は概略認める。

(3) 3頁「後で分かったことであるが」から「その後も究明しなっかた。」は否認。

(4) 3頁「亡E子のその後」から4頁「亡E子を帰宅させた。」までのうち、「労作時の息切れが強くなり」、「右心不全を疑わせる肝機能障害」は否認し、その余は認める。

(5) 4頁「その後も」から「急きょ脳外科の外来を受診することにした。」までのうち、「同日、脳外科S教授に電話をし、急きょ脳外科の外来を受診し」たことは認め、その余は不知。

(6) 4頁平成11月4日の項は、脳外科外来での血液検査結果は認め、その余は不知。

(7) 4・5頁1月5日の項は、「循環器内科を受診し、β遮断薬をカルシウム拮抗薬(エマベリンL)に戻し、様子を見ることにした」は認め、その余は否認ないし争う。

(8) 5頁1月12日の項は不知。

(9) 5頁1月19の項は、「被告Sは」から「再び戻したいと考えていた。」、「原因を究明することもせず」は否認ないし争い、「β遮断薬で症状が悪化したにもかかわらず」の点は、その「症状」がなにをいうのか不明であるため認否を留保し、その余は概略認める。

(10) 5頁1月21日の項は不知。

(11) 5〜6頁1月26日の項は、「原因究明はしなかった」は争い、S教授の発言内容は否認し、その余は認める。

(12) 6頁2月16日の項は、「外来を受診した」は認め、「単に血液検査を行うだけだった。」は否認。

(13) 6頁「3月には両側性の下肢の浮腫(以下下肢の浮腫という)が顕在化してきた。」は不知。

(14) 6頁3月11の項は、不知。

(15) 6頁3月16日の項は、「血液検査を行うだけだった」は否認し、その余は認める。

(16) 6・7頁4月20日の項は、「外来で」から「診断だった」までは認め、「この頃」から「座っていた。」までは不知。

(17) 7頁5月18日の項は、「右心拡大以外の浮腫をおこす病気」の点についてはの意味が不明なので認否を留保し、その余は認める。

(18) 7頁6月15日の項は認める。

(19) 7・8頁6月29日の項は、「ようやく心電図と心エコー検査をした」、「検査結果について説明がなく」は否認し、「検査結果と検査結果を」から「下肢や顔面の浮腫は右心不全の症状」までは、意味が不明なため認否を留保し、「この後」から「水が滲み出ていたのである。」は不知。その余は認める。

(20) 8頁7月2日の項は認める。

(21) 8頁7月6日の項は、「脳外科」で皮膚科を紹介してもらったこと、「S教授は6月29日の検査結果について被告Sより報告をうけていた」、「循環器内科に検査結果を聞きに行った。」、「7月14日経食道超音波検査の予約をした。」ことは認め、その余は否認。

(22) 8・9頁7月14日の項は、「心臓も肺のどちらもはっきりしたところはない、と言われた。」否認、「この時、亡E子も原告K子もどこか悪い所があるのなら、入院してからの検査でないとわからないと理解していた。」は不知、その余は認める。

(23) 9頁7月21日の項は認める。

(24) 9頁7月24日の項は、「右心不全の症状である腹水が原因であるが、被告Sは一切説明をしていなかった。」までは何時の時点で説明すべきであったのか不明なので認否を留保し、その余は不知。

(25) 9頁7月27日の項のうち、「脳外科外来とリハビリに病院へ行ったこと」、血液検査結果は認め、その余はないし不知。

3 2(2)について

(1) 10頁平成11年7月29日の項は、「リハビリパンツが」から「担いで降ろした。」は不知、「ナースステーションの前で」から「亡E子の姿に驚いた様子だった。」までは否認、「以後ともにずっと続く」の点は意味が不明なので認否を留保し、その余は「systolic murmursIII/IV」の「III/IV」が「III/VI」の誤りであることを前提に認める。

(2) 10・11頁7月30日の項は、「原告K子は」から「言い放った」までは不知、「両側に中等量の胸水、腹水(++)」は否認、その余は認める。

(3) 12頁7月31日の項は認める。

(4) 12頁8月1日の項は概略認める。

(5) 12・13頁8月2日の項は、「右房と連結する血管認める。」は否認、その余は認める。

(6) 13頁8月3日の項は、「原告K子は、」から「購入しなかった。」までは不知、「2.下肢から滲み出している。注目すべき浮腫。」は否認、その余は認める。

(7) 13・14頁8月4日、8月5日の項は認める。

(8) 14頁8月6日の項は、亡E子と原告K子の電話のやりとりは不知、その余は認める。

(9) 14・16頁8月7日の項は、「朝早く原告K子は」から「と言った」、16頁の「原告K子は」から「理由がやっと分かった。」までは不知、その余は認める。

(10) 16・17頁8月9日、8月10日、8月11日の項は認める。

(11) 17・18頁8月12日の項は、18頁の「原告K子は病室に戻ったら」から「被告Sを許せないと思った。」までは不知、その余は認める。

(12) 18・20頁8月13日、8月16日、8月17日の項は認める。

(13) 20・21頁8月18日の項は、原告らとS教授とのやりとり及びそれに対する感情は否認ないし不知、その余は認める。

(14) 21頁8月19日、8月20日の項は認める。

(15) 22頁8月21日の項は、「午後7時30分頃、」から「元気な声を出していた。」までは不知、その余は認める。

(16) 22・24頁8月22日の項は、24頁の「午前中は原告M夫が、」から「泊まることにした。」までは不知、その余は認める。

(17) 24頁8月23日、24日の項は認める。

(18) 24・25頁8月25日の項は、O医師の説明は否認、その余は認める。

(19) 25・26頁8月26日の項は認める。

(20) 26・27頁8月27日の項は、午後2時30分のこと、27頁の「原告K子は国会図書館へ行き」から「原告K子は病院に泊まった。」までは否認ないし不知、その余は認める。

(21) 27・28頁8月28日の項は、「亡E子「左肺の下の方が痛い。咳は多い。」」、「午後6時30分食事」、「午後9時頃血圧80台のため足部をあげる。」は認め、その余は否認ないし不知。

(22) 28頁8月29日の項は認める。

(23) 28・29頁8月30日の項は、「午前5時呼吸困難症状あり、とのコール。SpO298」、「亡E子「上が横に感じるようなめまいがあるよ。白いフワフワしたものが見える。幻覚だよ。」は認め、その余は否認ないし不知。

(24) 29・33頁8月31日の項は、31頁の「ほんのしばらくしてから、」から「発言は3回あった。」までは否認、その余は認める。

(25) 33頁平成12年1月5日の項は認める。

(26) 33・34頁4月22日の項は、「原告K子は、「これだけ?」とびっくりし、剖検報告書の開示と取得を申し込むにした。」は否認、その余は認める。

4 3ないし5の注意義務違反の主張は争う。

5 6ないし10の主張は争う。

第2 求釈明

 原告らの注意義務違反に関する主張は、単に注意義務違反があったということを冗長に、しかも曖昧に述べているにすぎない。そして、原告らは、亡E子の死亡に対する損害賠償を請求している。
 そこで、誰が、何時のいかなる症状・所見から、何時までに、いかなる疾患を疑い、それに対しいかなる治療を行えば、亡E子は死亡するに至らなかったといえるのか、具体的に明確に注意義務を明らかにされるよう釈明を求める。


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