はじめに

 S医師許せない。一体あの7ヶ月はなんだったの。

母は労作時に息切れや動悸を自覚するようになったので、外来通院をしている大学病院の脳外科教授(院長)の紹介で、1998年12月15日循環器内科S医師のもとに通院をはじめました。

1999年3月には、両下肢の浮腫を自覚し訴えました。S医師にとっても、著明な所見であったにもかかわらず、的確な診断が行われませんでした。

この結果、肺高血圧症の発見が遅れに遅れ、さらに肺高血圧に伴う右心不全の認識不足が重なり、入院時には症状が悪化しており、十分な検査も治療もできないまま、約1ヶ月後の1999年8月31日亡くなってしまいました。
66才でした。

循環器内科初診日に処方されたβ遮断薬は、添付文書によると、肺高血圧による右心不全に禁忌の薬であると書かれており、大変な驚きでした。

入院中に「あの病気は仕方がないんだ。」という言い訳を随分聞かされましたが、納得しませんでした。

母の死去後、S医師に外来通院時の経過について尋ねたり、書面でのやり取りを行いました。

入院中に加わった呼吸器内科医師とも、書面でのやり取りを行いました。

カルテ及び剖検報告書のコピーを取得しました。

専門書を買い、国会図書館へ足しげく通って専門雑誌をコピーし、勉強してきました。

2年の間に、問題点が明らかになってきました。

母は、当病院への通院は20年の歴史があります。
当初、病院内の循環器内科を紹介してもらったのは当然のことだったのですが、これが大きな問題であったとは思ってもみませんでした。

良質かつ適切な医療を受けるためには、専門家のいる病院への転院が必要であったにもかかわらず、このための説明と情報提供が一切行われませんでした。

母に起こったことが再び起こらないように、また今日まで色々と勉強してきたこと、経験してきたことを役立ててもらいたいと思い、ホームページを開いたのです。