HALF AND HALF JOURNAL

 

 

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HHJ

 

 

 


HHJ  2001.4.  Vol.79

 


消えた川〜

明治の守護神有栖川宮と

リヴァー・ユートピア

 

流れを遡って水源を見ようと思った最初の川は、有栖川宮記念公園の渓流である。自然環境保譲に対する関心と父の生まれ故郷の近くだという記憶が背景にあったことは、あまり重要ではない。時間を描くことの芸術的な悩みのために、そこへ向かって歩き出した。

 

 

 

 

公園のパンフレット   提供; 港区役所

 

 有栖川宮記念公園は、東京でも知らない人が多い。麻布という土地は明治の古い格式のある正統的なイメージと外国大使館の並ぶ国際的なイメージを持つ。公園に立つ青銅の騎馬像は土地柄にふさわしい守譲神的な存在である。しかし、有栖川宮に関してはぼくもやはり現代っ子で、〈宮さん〉と歌われたイメージが残っていただけだ。ためらいがちに百科事典を開いてみると、実権を握っていた人物だった1

有栖川宮熾仁(ありすがわのみやたるひと)親王は王政復古後、新政府の総裁に就任、戌辰戦争では東征大総督に。元老院議官、議長を歴任する。77年の西南戦争では征討総督として陸海軍を指揮する。戦後、陸軍大将に。訪欧後、参謀本部長、近衛都督、参謀総長に。創設期陸軍の代表的人物で、皇族として軍事統帥権を掌握する天皇の代理人の役割を果たす。

 有栖川宮という皇族が残っていないので、この壮麗さには呆然とした。明治の終焉とともに有栖川宮の名が消えたのは自然かどうか分からないが、消えた有栖川がリヴァー・ドキュメンタリーの原点になったのは、ぼくの冗談ではない。有栖川宮記念公園の想い出がそのエスキース(素描)を描いていたと考えるべきだろう。

 それにしても、運命の悪戯という古い観念が蘇る。川の全体像を制作するには測量の知識が役立つ。川の地図を作るように特徴と変化を丁寧に撮るのが基本だ。しかし、川の全体に関する視覚的情報を公開すれば、住民自治が広がる反面、国土防衛を危うくする情報として断罪される危険もある。近代測量が陸軍参謀本部の管轄で行なわれた理由は、他にない2。リヴァー・ユートピアの活動を妨害する右翼保守派は、自民党・防衛庁・謀略機関と限定しておくが、その点に本能的に口実を見い出したかもしれない。ところが、リヴァー・ユートピアの舞台裏にいたのは明治の守譲神有栖川宮だった。迫害に悩まされる一人の芸術家を救った〈宮さん〉は、やはり麻布らしい優雅な自由主義者だったように思える。

 

1        平凡社の世界大百科事典 

2        1878年測量課と地図課を編成。大正末期に5万分の1図が集成され、長い間国民に利用された。

 

有栖川宮についてもっと考えたい

▼ 銅像が語ること / 追記

▼ 有栖川宮公園のミステリー

 

▼ 青銅の偉人をマチエールにして書いた短編小説(草稿)に関する エセー

 

 

 

 

 

 

 

 


HHJ  VOL.17   1993.5.10

 

川を愛する

                   

 

―都会に住んで寂しく感じるのは、クリスマスに雪が降らないことと川が汚れてることだな。

 大学のそばを流れる神田川の短い橘の上で、ぼくは江戸っ子の友達に言った。彼は郷愁の滲んだ口調で、

―子供の頃はこの辺りに魚がいっぱい泳いでいたんだ。今じゃ、工場の廃水と家庭の洗剤で汚れ放題だ。

ベネチアの小さな橋の上から眺める 1991

 都会の中を流れる川から奇形の魚が見つかったというニュースがよく報道されたが、それは自然に親しんでいたぼくにとっても衝撃だった。公害の脅威は生物と人間の生命に対する危機感を高めて、社会の在り方と環境についての見直しを迫った。それから24年後、都会の川は以前のような《下水溝》ではなくなって、どうにか水質が良くなっているらしい。ぼくは前に〈川が隔離されることは取りも直さず人間が隔離されることだ〉と書いたが、川と人間が再び交流するのはすばらしいことである。しかし、流れる水を見て中に入って遊ぼうという気が起きるかどうか、非常に疑問だ。透明度は高くなっても、やはり清流とはほど遠い所が多いようだ。

 

長木川はどうだろうか?注意して見なくても、以前より水の透明度が落ちていることが分かる。これは数年前から我が家の井戸水が、といってもポンプで汲み上げているのだが、赤茶色に濁り始めたことと関係があるのじゃないか…原因ははっきりしないが、長木川の水質の方は上流に何か異変があるのに違いない。鉱山か?それとも、もっと奥のニツ屋にある産業廃棄物処理場か?この処理場は市内の民間業者が78年前から営業しているが、源流付近にはさらに二つの市外の業者(秋田と二ツ井)が産業廃棄物処理場の建投を計画中だ。川が汚染されない保証があるのだろうか?

 疑いを晴らすかのように、ちょうど広報〈おおだて〉が《ふるさとの川 汚したくない》と書いてきた。

 

川を汚す主原因は家庭からの排水です

…コップー杯の牛乳でも、川へ捨てると、もとの魚が住めるほどの水に戻すためには、浴槽約九杯分もの水が要ります。使い終わった食用油(五百ミリリットル)を流すと、なんと浴槽三百三十杯もの水が必要です。

 

***

長木川流域には幸い大きな産業施設がないので、川の汚れには市民の生活の汚れ、つまり心の汚れも関係していることになりそうだ。公共下水道が完成するまで、ひとりひとりが台所の汚水を減らすよう注意するしかない。側溝に流された排水は古い雨水用水路を通って、川に出る。

《川は生きているか》の著者、フレンズ・オブ・リヴァ一会員代表の浜野安宏さんは、魚を釣るのに罪悪感を覚える釣りマニアだが、多摩川の水質汚染についてこう語っている。

 

 蛇口を開けば水が出て、風呂の栓を抜けば汚水が消える。トイレだってコックをひねれば水が出て、トイレットペーパーもろともどこかへ消えてくれる。その先にも後にも川があるのです。

 

 現代人はとかく今という孤立した時間に囚われて、前後関係を顧みない。デジタル・ウォッチが教える時間は点でしかなく、時計の針が文字盤を回りながら示す時間の広がりを欠いている。11時から30分過ぎた(30分後)、12時まで30分ある(30分前)、という時間意識が乏しければ、今眼前にある事物への執着が強まるばかりなのだ。その時間意識は今を否定して想像的に働くが、時計の針と文字盤はそれを視覚的に示してくれる。一目見ただけで、今という部分を超えた過去・現在・未来の全体的な広がりが分かる仕掛けなのである。

 川に行けば、目に映る水の流れが自然な時間の流れを感じさせてくれるだろう。そこには源流の水があり、他の川と混じって、やがて海に流れ入る。そして水蒸気と化して、再び雨となって大地に降るのだ。

《川は生きているか》の著者によれば、きれいな川の条件はこうである。

 

おいしい水が飲める川は生きている

  ダムのない川は生きている

  イワナ、ヤマメのいる川は生きている

水遊びのできる川は生きている

 

ぼくはもう一つ大事なことを付け加えたい。

 

  美しい川は生きている

 

***

大都市の川と違って、長木川は昔から結構市民に愛されている。両岸の建物は、南北に関係なく川に表を向けているのが多い。裏側を向けていても、堤防との間に橋を架けたり、庭やベランダを作ったりして、日常生活と川が密接に繋がっているので、なかなかきれいな外観である。住む人の心が分かる。

 しかし、街から外に出ると、人目に付かないのをいいことにゴミを捨てる人がいる。ぼくはこの間、大館の西の玄関口にあるニツ山の裏側にサイクリングして、鉄道と急な山の斜面に挟まれた川の岸辺に焼け焦げた粗大ゴミをいくつも見つけた。スチール製のテーブル、真っ白な発泡スチロール箱、電気製品らしいボックス、ガラス板、波トタン等々… 

自転車から降りて、昔に較べると透明度が落ちた流れに沿って歩くと、人ひとりが通れるくらいの細い小径が緑色の葉をまとった雑木林と一緒に崖の下を縁取っていた。車の往来が激しい高台の通りの近くにこういうひっそりとした静かな自然がある。手入れをすれば、かなり美しい心地よい自然になるだろうな、とぼくは思った。自然は放ったらかしにしてはいけない。名もない無数の人達が遠い昔から連綿と育てて造り上げてきたものなのだ。

 小径に置かれた雨晒しの椅子を見ると、そこに腰を下ろして川を眺める人の影が浮かぶような気がした。釣りをしているのか?瞑想に耽っているのか?憂き世離れて心を青空と水の流れに溶かしているのか?ぼくは孤独の邪魔になるのを恐れて、静かに引き返した。そして、高校時代に好きだったマット・モンローの歌《UNCHAINED MELODY》を想い出した。

 

 Lonely river flows to tbe sea

 寂しい川は流れる 海に向かって

 

川向こうには明るい陽射ししが注いでいる。乳白色の小石の河原に、柳に似た感じの低い雑木林が広がっている。何と言う名前か知らないが、ぼくは興味のある事物でも学問的な観察は無視して、ただ見ることにばかり気を遺う癖があるので、別に苦にはならない。実際どういうふうに見るのかと好奇心を示されたら、見えるように見る、全てを忘れてしまうような仕方で見る、黙って待つのさ、とでも答えようか…すると、忘却に囚われるグッド・アイディアが閃く。すてきな想像が浮かぶ。

 忘却は創造の源である、とある哲学者と詩人が言っているが、これは本当かもしれない。知識を貯め込んだだけでは、いい作品はできない。覚えたことは、忘れなければ役に立たない。

 

***

ところで、この辺りには公園を造る計画があったが、どうなったのだろうか?山の反対側に駐車場ができただけで、以来何の報道もない。訝しく思いながら、帰りは川に沿った砂利道を通って工事中の高規格道路と完成したばかりの側橋に向かった。目の前に灰色のコンクリートの分厚い橋脚の壁が聳えている。まるで新しい遺跡のようだ。高規格道路の方はまだ橋板が架けられていないが、完成したら、下の方や周囲は荒涼とした廃墟と化してしまうかもしれない。そこだけ大都市並みで、やっとおれだぢのまぢも都会になったでゃ、などと呑気に喜んではいられなくなるだろう。そういうことは、東京のような大都市に暮らした経験がある者なら、よく理解できるはずだ。自然と生活環境への配慮が果たしてどの程度あるか?これはただ簡略な図面を見せられただけでは分からない。あらかじめ精密な模型を公に展示して、住民の理解を求めるのが誠実な態度ではあるまいか。こんなに街に近ければ、周辺の人々は適応に苦しむだろう。悪いことに、高速道路は地域の独自性を完璧に無視して、色気も何もない千篇一律の作り方を通しているのだ。車で通り過ぎるだけの者でも、地域ごとに変わった光景が現われれば、退屈の余り眠りこけることもないだろう。しかし、ともあれ、肝心なのは周辺から見てどうなのか、ということである。できれば、鬱蒼と葉の生い茂る並木で無機質な空間を挟んで、視界を柔らかく潤いのあるものに変えて、環境との違和感をなくしたいものだ。

 フランス語で違和感があることをデペイゼ(dépaysée 異郷にある)と言う。口では《ふるさと》を謳い文句にしながら、思惑に反してせっせと故郷喪失を堆進しているのが地方の開発の実態ではないか、とぼくは思う。人口は増えるかもしれない、経済も潤うだろう、しかし、どこにいるのかと本当に自問せざるをえない人間も増えるだろう。ぼくは来る途中ニツ山の麓の崖の上にある精神病院をちょっと覗いてみたが、待合室には患者らしい人がたくさんいて驚いた。精神病も都会並みになったのか!病気の傾向はどんなものだろうか…

 

***

橋脚の下を通り抜けて、すぐ近くの花輪線の鉄橋に行くと、道はそこで行き止まりだった。大館自然の会の明石良蔵さんによれば、鉄橋のそばに、市内の生活排水が流れる用水路の出口があるという。迂闊なことに後で聞くまで知らなかったが、ぼくはさっそく鉄橋に戻って青いペンキが目立つ水門と高規格道路の風景を走り描きした。その水門が下水路の出口だとは思いも寄らなかった。市役所の生活課と下水道課に問い合わせて、確かめてみた。大館の場合、高台の排水は米代川の舟場下水路と長木川の館下下水路へ注ぐ。長木川の低地の排水は館下下水路へ…と下水道課が少し警戒気味で答えてくれた。北の方は、少し上流に2か所ある。

 半地下のアトリエは庭の片隅に排水用の穴を掘って草花で覆ってあるので、側溝から道路の上に臭気が残れる心配もない。といって、臭気が立ち昇る側溝に嫌悪や憂いを感じる人がどれだけいるだろうか?

 たんぼの中の道路を迂回して新興住宅地から再び川に戻ると、懐かしい雑木林がほんのわずか宅地の隅に残っていた。桜の木は大きく成長しているが、日本人の美意識には訴えないそういう雑木林も大事にされるべきだろう。

 ぼくは河川敷の公園を眺めながらアトリエに戻った。今ではれっきとした自動車用の舗装道路で、自転車はもちろん歩くことも危険が伴う。川に近い方を通りたいのが自然な人情だが、歩道もバルコニーもないので、そう気楽に川の眺めに浸っていられない。

 

西大館橋。この広い橋は国道7号線の2車線のバイパスの一部である。道路の性格上当然かもしれないが、自動車が多く通るので、いつも橋の上は荒涼惑が漂っている。街灯は塗料が剥げて赤く錆びびたまま・・だから、せっかく広い歩道があるのに、ぼくはあまり西大館橋を渡る気がしない。しかし、高規格道路ができれば、いくらか大型トラックやダンプなどの無情の走行が減るのじゃないか、と軽薄な期待を抱いている。だが、黙って眺めるばかりでは街の中の生活空間に馴染まない橋であり続けるだろう。橋と人間との理想の関係の仕方は、何と言っても、橋の上も庭や辻公園の一部あるいは延長として人々の気軽な逍遥の場になるということだ。とりあえず簡単にそういう場所にするには、ヨーロッパの橋に見られるように歩道の隅に花壇を置いて花を飾るとか、すればいい。もっとも、これには県の北秋田土木事務所の許可を得る必要があり、善意であっても、占有料を払わなければならないという〔1〕。少しも簡単なことではない…が、川の流れのようにおおらかに行くとしようか。

西大館橋と上流の古い大館橋の間には、芝生が広がっている。所々に潅木があり、低いステージと花壇がある。緩やかな階段を降りれば、流れに触れることができる。階段には雑草がはびこるが、そこで憩う人の姿は遠くから見る者の心をも和ませる。公園の中に大きな樹木が適当に植えられていれば、もっと潤いのある快適な場所になるだろう。陽の光が梢や葉の影で優しい絵を描くに違いない。

 

***

 だが、自然の生態系を考えて樹木を選ばなければならない。小鳥達は木の葉の虫や実を求めて集まる。適切な選択をすれば、小鳥達が、再び街の中の川に、人々の生活の傍に、飛んで来てさえずるだろう。白鳥やユリカモメの飛来は市民の目と心を楽しませるけれども、小鳥達はいつの間にか川から消えてしまった。たぶん住宅地の増加と公園のせいで餌がなくなったためかもしれない。だが、鳥は餌を欲しがるだけだろうか?アトリエの地下室の前の荒れ果てていた庭を美しく造り変えると、色々な鳥が姿を見せるようになった。《鳥も、やはり美しいところが好きなんだなあ…》もっとも、そうであればいいな、と思うだけで、本当かどうか、大きな声では言えない。

花壇にはまだ花の開かないチューリップが無数に植えられていた。それは市が管理して季節ごとに花を代えるが、大館名物の型に蔽まった図柄なので、うんざりする人が少なくない。両岸の土手の斜面一面に数年咲き誇った芝桜は、今やほとんど色彩がなくて雑草の緑だけが目に付いた。蘇った雑草には悪いが、借しいことだと嘆かないではいられない。自然の秩序に委ねられた花は、成長を眺める楽しみがある。蕾に焦燥を感じたり、葉や花弁の色付きと形に不意を衝かれて喜んだり、自然のリズムに乗せられて植物とともに心が動く。人間の芸術や創造も、こうありたいものだ。表現に、彼が住む世界の理念的に形造られた反映がなければならない。理念が欠けると、生命のない好き勝手に寄せ集められた作品になる。

 さて、リヴァー・ユートピア構想はどういう風になって行くだろうか?旋風よりはむしろ、静かな優しい微風のように街々を流れたい、と思う。

 

ロマンチックな大館橋は、今では片側だけが、崩れかかって残っている。半分新しい歩道とバルコニーのない画一的な欄干が付いて、その上にオレンジ色のナトリウム灯がうなだれている月並みな風景。両岸の灯籠と二つの古い街灯は、明かりが絶えてしまった。新しい新しい橋を計画中だという。ぼくはふと思いついて大館橋に置く花壇のデザインをあれこれ空想した。何年か前には、橋脚台に彫像を飾れば面白い絵になるな、と考えてパステルで描いた。なぜか大館橋は、ぼくの想俊カを刺激して止まない。高校生の頃は、勉強に疲れた深夜、街灯が立っているバルコニーに佇んで深い闇に目をさ迷わせて、カミュさながらの思索に陥ったものだ。橋には、どこか超現実的なところがある。宙に浮かんでいるので、そう感じさせるのだろうか…ある詩人は橋を夢に譬えたが、確かに日常の世界の外側にあるだけではない。誰にも分かる夢という言葉の色々な意味が、実際に形になって現れるドラマチックな空間でもある。

 

***

ぼくは去年大館橋のしゃれた透明なアーケードの構想を書いたが、それが実現されればいいな、と思っている。歩く人達に優しいだけではなく、未来に開かれた芸術的な雰囲気がある。ベネチアの有名なリアルト橋は、商店の入ったアーケードの背後にも舗道が付いていて、狭いが、階段を歩きながらゴンドラが浮かぶ運河や色褪せた建物など街のしっとりと濡れたような情景を落ち着いて眺めることができた。その配慮の濃やかさには感嘆させられた。ぼくがパリのパンテオンの近くで買った小さなスケッチ・ブックにペンを走らせたのは、暖かいせいもあるが、地中海に面したニースとアドリア梅のベネチアでだけだ…何と言っても、淡い薔薇色のガラスを嵌めた街灯が魅惑的なんだなあ。

 ついセンチメンタルになったが、それも橋が漂わせるイマージュの一つなので、無理もないだろう。心の中で同意してくれる人は、きっと橋に想い出があるに違いない。あるいは、橋が想い出か…想い出が橋か…

 

始原を忘れまい。《星と人間は同じ物質でできている。》地球という名の惑星が人間のために病み衰えた今、遥かな昔、自分たちが住む北秋田と呼ばれる米代川流域が海底だったことは記憶に留める価値がある。ぼくは神田川の場面からまもなく、サークルの連中と森吉山に登り、夜、頂上からの光景を眺めた。日本海は暗く、米代川流域は深い闇の底に沈んで、ただ所々に光の群がりが見えるだけだった。奥の深い入江だったに違いない〔2〕。海の底だったことを実感して、ぼくは始原に帰ったような気分になった。

 その記憶はときおり蘇って、時間を消してしまう。川の流れは、海だったことを想い出させる。海は、川が流れて行く向こうに広がっているだけではないのだ。そういう想起が惹き起こす感覚に誘発されたのか、何年か前、長木川の流れに船を据えるという空想が湧いた。超現実主義風の絵になるばかりでなく、芸術・文化その他いろんなことに利用できるだろう。南の海辺の爽やかさが大館の狭苦しい暗い街の中で感じられるに違いない…            

 どこかに沈んでいたその夢を、リヴァー・ユートピアが引き上げた。水は再生の象徴である。始原のムードに浸って、船のデッキで光を浴びながら何もしない時間を大事にしようか…キャビンの中で気ままなおしゃべりを楽しもうか…夏は、地中海のひっそりとした海岸に停泊しているような気分だ。冬は、野生の豪奢な一時が過ごせる、地球のあらゆる海に繋がる川のほとりで…?

 

***

悪酔い気味の散文になったが、現実は厳しい。どうなることか…ぼくは、単に環境保護だけでなく、美しい川にしたいと思う。自由にそうする人が一人でも多く現れればいい。だが、無許可で川を花や木で飾ると、違法行為なので、ご注意を…

リヴァー・ボートも同様に許可が必要だ。理念からして当然コンクリートの構築物は止めて、木材や廃材や石といった自然の材料を利用するべきだ。それで十分立派な桟橋と港が作れるだろう。リヴァー・ポートは、《自然と環境の保護・自然と人間との共生》という理念に共感する人は誰でも利用できるようにしたい。いずれ結成される各リヴァー・ボート・クラブの会員は、会費を払わなければならないかもしれないが、ボランティア精神で活動するべきである。そして、川と周辺についてチェックしながら、理想のためにイニシアチブを取ることが重要だ。

 リヴァー・ユートピアは、自然と人間との調和を考えなければならない。排他的にどちらか半分を切り捨てると、結局、残りの半分も同じ運命を辿るだろう。現代の環境悪化は、人間の知性に特権を与えたために起きたものだ。人間も自然から作られた存在として自然の一部であるという素朴な思考があれば、半分と半分が共存しなければならないと気づいたはずである。環境が悪化していない場合、これは保護というよりは自然への従属的な接近であるべきだろう。そして、自然の可能性を無闇に産業製品に変えることにかまける科学文明に逆らって、慎ましやかに自然の可能性の芸術的な昇華に努めなければなるまい。そう言うと大袈裟に響くが、要するに、自然を活かす美化を心掛けようということである。リヴァー・ユートビアに、終わりはない。

☆ ☆ ☆

 

1 大館市の回答による。県北秋田土木事務所によれば、美化運動の場合占用料はいらない。

2 再び海になったの氷河期の終わった縄文早期(BC9000BC6000)のこと。

 

 

 

 

 

 

 


HHJ  1992.7.20  VOL.8 

街の現在と未来について思う〜6

 

快適さと美しさを兼ねたアーケードとは?@―大館の古い中心街は、高台にある。もう20年になるか、そこにアーケードが作られると聞いて、ぼくは美観が損なわれるのを恐れて嫌悪した。完成したアーケードは、予期した通り街並に調和しない。しかし、アーケードの下に行けば、外観は視野に入らないので、そんなに嫌な印象はない。雨や雪の日は、多少遠回りでもアーケードを通る。

 アーケードは、舶来の名称だが、同じような機能を果たす建造物が日本になかったわけではない。弘前には、今でも旧国道沿いに江戸時代の雁木(がんぎ)というアーケードが残っている。商家の軒を前に延ばして、人々が軒下を歩いて往来できるようにしたものだ。子供の頃、車でそこを通ると、弘前に来たな、という気がした。それは模倣ではなく、風土との真摯な関わりが自然に思いついた雪国特有の建造物で、なかなか風情がある。どうして近代の都市に活かされなかったか…西欧崇拝派も伝統派も観念的な知識に凝り固まって、自分がどこにどのような条件の中で生きているかという自覚に欠けていたせいだ。そして、一般人は忍耐を美徳として教えられていたせいだ。

 それはともかく、美しさは取って付けたような仕方からは生まれない。美と美を合わせても、よりいっそう美しい創造ができるとは限らない。各部分の関係の仕方、つまり構造が良くなければならない。構造は生物が環境に適合するように内部から有機的に分節される…これが理想である。当然のことながら、美しさは強い。

 しかし、アーケードは普通後から建物に取り付けるので、調和させるのが難しい。街路全体を蔽えば、美観を損なう危険性は少ないが、自然が排除された非感性的な空間になるから、広く長い通りには向かない。まして自動車が往来する通りには、ガラス越しでない空が必要だ。その点、強化ガラスを使った未来派的なアーケードはファサード(建物の正面)を傷つけないで、綺麗に見せるかもしれない。ただ、時間に美しく廉かれるかどうか。ぼくは、雁木に学ぶべきだと思う。アーケードと一体化した建物を、つまり、建物の中、通りに面した前部を歩道にするような構造を考える。これだと、最初から全て作らなくてらなくても部分を改造するだけで済むので、経済的でもある。

 

 

HHJ  1992.8.20 VOL.9

街の現在と未来について思う〜7

 

快適さと美しさを兼ねたアーケードとは?A―理想的なアーケードの一例として、簡単なデッサンを掲げた。これは、2階(あるいは3階)から上が前に半分迫り出した形で、アーケードの屋根は採光のために強化ガラスが望ましい。圧迫感をなくすために、高さは一般の建物より高くするべきだ。柱の素材はコンクリート・石・煉瓦・鉄・合金など考えられるが、場所や建物を考慮しなければならないので、ここはただ通り過ぎるだけにしよう。

 このアーケードの長所は、1階を後ろに退かせて、建物の内部と外部(歩道)を自然に融合できることだ。通行人にとっては、単に広い歩道としてだけでなく、小公園の趣が感じられるだろう。そして、狭い通りなら、削った分を上に乗せるので、地所を有効に利用できる。

 

 さて再び大館橋に戻ろうか…昔は誰もが大橋と呼んでいたが、正式の名称を記した標識がいつの間にか橋の袂に立てられたお蔭で、大館の橋だということを知った。ぼくは旅行者か観光客であるかのように、自分を感じた…実際似たようなものだが、雪のない冬に慣れていたぼくは、強風や吹雪の日に橋を歩くのが非常に辛かった。広い歩道が片側にできたにもかかわらず、辛抱強い老人と風の子の他に、歩く人達が少ないのは無理もないことだ。自動車の方が楽に決まっている。しかし、個人と社会の関係と同じように、人間だけが順応するために絶えず変化を余儀なくされるというのは、困ったことではないか?防寒コートや厚いセーター、使い捨てカイロや車を買うか、それとも街を変えるか…そういう次第で、手っ取り早い手段を選んだばかりでなく、気楽に歩ける新しい橋についても考えた。つまり、アーケードを橋の上に作るということだ。デッサンの一例を挙げてみよう。

 

 

 

 

 

 

 


HHJ  1996.10  Vol.52

>活動開始、長木川ダムを考える市民連絡会<

927日、夜7時から大館中央公民館で長木川ダムについての話し合いが行なわれた。呼びかけたのは〈長木川を愛する会〉。テーマは、長木川ダム問題をどのように考え、実際どのように運動を進めて行くべきか、である。参加者の発言を内容別に適当に整理すると、

xダムは一般に土建業者の繁栄のために作られる。/役人はダム建設の情報をなかなか市民に公開しない。/自然が弱ったからといって、ダムを作るのは政治や産業が自然を壊した事実を忘れた詭弁だ。/ダム建設は安全のためというのは脅しみたいなもので、口実だ。/ダムは地震を誘発する。/上小阿仁の萩形(はぎなり)ダムが出来てから、かえって水害が増えた。放流はダムの安全牲を守るためで、渇水期には水不足で下流が荒れる。/水質の悪化も激しい。/水道料金が上がる。/人間の科学的な力に対する奢りがあってはならない。/都市型災害を反省する必要がある。都市に降る雨がコンクリートとアスファルトのために地中に浸透しないので、中小河川や用水路がすぐに溢れれる。/大館市は回答書の中でそれを自然のせいにしているが、正しくない。

x将来の理想的な人間の生き方と社会の在り方を視野に入れて、運動していきたい。ダム建設に反対するだけでは暗くなってしまう。/ダム計画があることさえ知らない市民がいるので、ダム問題に対する意識を高めなければいけない。/公聴会を開くべきだ。/新聞の報道の仕方が悪い。ダム建設位置が〈皆倉橋上流に決定〉と一言だけ、地図も入れない。本当なら、大きな見出しにするべきだ。批判する必要がある。/ダム建設計画の資料と関連する資料をもっと集めたい。/質問状を送ろう。

 

 和やかな意見交換のあと、〈長木川ダムを考える市民連絡会〉を作ることに決定した。宣伝効果と運動の効率のために、それを中心に各グループと個人が柔軟に連携する。ヴァライエティに富んだ粘り強い展開が期待できると患う。

 

 

〈長木川ダムを考える市民連格会〉

代表:佐藤守

構成グループ:長木川を愛する会、大館自然の会、大館せっけんを広める会、大館オンブズマンの会、大館文化の会、健康と文化を広める会、カメラ・クラブ、リヴァー・ユートピア、HHJ  etc 

 

                 

                                         

 

 

 

 

 

河川汚濁のモデル解析

 

1.モデル解析法

 

11 モデルの概念

 モデルについて述べる前に、システム(system)を考えよう。

 一般にシステムとは,多くの要素がそれぞれに横能をもっていて、互いに連絡しながら全体としてひとつの目的を持った表現をしているものをいう。本書は河川から汚濁負荷がどのように出てくるかを記述するものであるから、この課題をすべて含む最も大きいシステムは、流域と考えられる。流域は機械の部品のようなものの集まりでないから、ソフトで自然的なシステムといえる。しかし、そのなかには森林域だとか農地があり、都市や農地での人間活動があり、それぞれの部分で汚濁負荷の状態が異なっている。そこで、考察の必要上、部分的なシステムを扱うことがある。すなわちシステムを部分(サブ)システムの集合と考え、解析の目的によって1つの部分システムを考えたり、いくつかをまとめたシステムを考えたりできる。流域の部分システムには、表−31のようなものが考えられよう。

 さて.モデル(model)とはシステムを記述したものである。…()

システムを記述していくことをモデル化(modeling,modelling)というが、その手法には、数式で表現するものと、図で表現するものとがあり、前者を数学モデル、後者を図的モデルという。ときには記述的なモデルもある。

()

 まず、本書の目的が流域や水域の適切な保全にあることを念頭において、何のためにシステムのモデルをつくるかをまとめてみよう(注:以下の「システム」に、「流域」とか「農耕地」などの語を入れてみるとわかりやすい)

 

@システムの構造を把握するモデル:M1---構造モデルができると,自然環境や社会環境のなかでこのシステムがどういう 要素で溝成されているか整理できる。

Aシステムの機能を把握するモデル:M2---機能モデルによってシステムのなかの要素がどんな役割をし、互いにどう影 響しあっているかが実現できる。

Bシステムの働きを評価するモデル:M3---これまでのモデルを駆使して、システムを計算機などを使って人為的に操作してみることができる。そして、システムのなかで要素の働きを変えれば、システムがどう変わるか数値的に実験することもできる。これを数値シミュレーションと呼び、そのモデルを評価モデルという。

Cシステムの未来を予測するモデル:M4---システムを動かしている外的条件が変わらなければ、今後どのようにシステムが進んでいくか、また条件を変えたり、要素の働きを制御すればどう変化していくかを予測する。

Dシステムの今後を管理していくモデル:M5---システムを見守っていくために、システムをどう監視していくか、またモニタリング資料をどのように管理手法に結び付けるかをモデル化する。

 

 このようにシステムをモデルによって総合的に理解し、目的にあったシステムを設計し改善していくことになる。しかし,理想的にこれを行うのはかなり困難であるため、モデルをつくるには多くの仮説が必要となる。いいモデルができるかかどうかは,この仮説が適切かどうかにかかっている。

 

 

表−31汚濁負荷に関する流域の部分システム

[その例を引用する]

 

地下水システム      

・山地斜面からの地下水流出を考えるシステム

山林システム           

・林内の物質変化や移動を考えるシステム

市街地システム          

・市街地計画と負荷制御を考えるシステム

etc.

 

河川汚濁のモデル解析 ; 国松孝男 村岡浩爾 編著 技法堂出版

 

▼ 言葉の樹 :  優しいモデル解析?

▼ 無意味な破片 2005.7.4

 

 

 

 

 

 

 

Atelier Half and Half