SELECTION 

Hiyamizu & Masse river

 

 

              

 

水路の出発点

黒沢川橋から花輪の街を眺める。

Start of canal

Watching Hanawa town from Kurossawa river bridge.

  

 

駐車場

Parking place

 

 

 

水路橋

福士川を越える。

Canal bridge

It overpasses Fukushi river.

 

           

           

         

RIVER PORT HOUR  2   

 

 

 

 

 

 

 


      

                   

Somayama bridge

Italian-style bridge welcomes you into the urban area.

 Filming: September 12  2005

杣山橋

イタリア様式の橋が市街地の入口で迎えてくれる。

撮影: 2006926

     

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


DVD MOVIE Achevè! 完成☆

 

終点 [Terminal Point]

 

     Time 04;14

 

2000年夏に函館ロケで制作した。どこかの住民と違って、函館市民と外国人はとてもとても協力的だったね。最終市外電車の中から進行方向を映した函館駅前からの長いシーンがアルビノーニのアダージョとぴったり合う。ただそれだけのムーヴィだが・・・

 音楽の著作権に触れるので、個人的なプレゼントで希望者に贈ります。

[コピー・ディスクはCD-RPC以外ではたぶん再生できません。]

 

   

 

 

 

Hiyamizu & Masse river : It streams in Kazuno city, Akita prefecture, and flows into the Yoneshiro river. 10.0km in length.

冷水・間瀬川: 秋田県鹿角市を流れ、米代川に注ぐ。長さ10km

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

花輪大堰

 

 

 

 

 


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米代川合流地点 Its junction with the Yoneshiro river

 

 

 

 

 

 

 

 

撮影レポート

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Updated 2006.11.4

 

事件の跡

926日花輪大堰と呼ばれるかんがい用水路を撮影した。米代川の取水堰から花輪の街を抜けて冷水間瀬川に合流する地点まで。大堰は江戸時代に開かれたが、商業目的の開発と思えるほど独特の都市風景を形成してきた。しかし、住民の姿はほとんど視界に入らなかった。ハミングロードというアーケード街が完成して駅前の中心街もモダンに変化したが、人に出会うのが難しくなった。政治が管理統制を強めたからだろう。その鋳型に流し込まれる生活だからだろう。そう直観して、ヴィデオに花輪代官所の跡を入れた。花輪の祭りにエネルギーを供給したオールド・ファシズムを忘れないように。

 撮影でショックを受けたのは、郊外の警察署の前の舗道を見たときだ。桜花が黒いアスファルトに散ってる、と錯覚した。しかし、鹿角市がある人間の意識を視覚化したデザインなのだった。警察署の正面なので、馬鹿でないかぎり血と事件を連想する。鹿角市に問い合わせると、平成10年にカラー舗道にしたあと警察署がそこに移転したという。信用する人はいない。前後関係が逆だと思う。しかし、市民の批判はないのか、という質問は理解可能な範囲にはなかった。秋田県警は事件として捜査するべきではないか?

 それから、水路が越える福士川を見て地図と比較すると、全然違っていた。国土地理院の地図では水路と合流して冷水間瀬川に向かうように描かれているが、実際はその川は県道を横切って一直線に米代川に向かう。現実と違う地図を平気で偽造するのは、民主主義国ではありえない。情報機関やそれを悪用する政治家が権力を握ると、まず第一に実行する戦略であると考えていい。ヤフー・ジャパンの地図では正確に記述されている。

 

 

関連するレポート

▼ 黒沢川のページ

 

 

 

 

 

鹿角警察署の横の水路

鹿角警察署の正面の舗道

 

 

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Updated 2005.9.16       RD撮影レポート

フルーツを見ながら

912日、JR花輪線始発列車で十和田南駅に行く。丘に広がるリンゴ園を通り抜けて間瀬川の発電所の上流を撮影する予定だ。そこに人工の滝を建設したのは、八森の真瀬川にある渓谷を意識してだろう。十和田南駅で列車がスイッチ・バックする理由は何か、ぼくの推理ではこうだ。大正時代の建設者が古来有名な錦木塚伝説に畏敬の念を表わしたか、あるいは、小坂鉱山まで鉄道を延長する計画だったが、実現されなかった。いずれにしても、米代川のアイヌ語〈ホロカペツ〉の意味〈後戻りする川〉という地理的な条件にはめ込まれたかのような鉄道である〔1〕。

 十和田南駅からのサイクリングは初めて。駅の食堂で350円の山菜そばを食べると、山菜が豊富に入っていた。ワラビ、ゼンマイ、タケノコ、フキノトウ、キクラゲ。それに、胸の病に効果があるネギ。しかし、生そばは地元毛馬内のものだが、どういうわけか、山菜は山形県から来ていた。

 通りすがりに初めて伝説の舞台である草木川を見て、ドキュメンタリー制作を決めた。黒沢という姓が多いが、地名は古代から草木である。

 高原を気持ちよく走った。砂派という地名が気に入った。思いがけなく北限のモモが目に止まり、撮影許可を得て映像を味わった。菩提野で冷水川源流に通じる林道に入ると、自転車で採石場の対岸まで行くことができたので、発電所上流の撮影は延期した。

 

1 ウィキペディアHPによれば、十和田南駅・鹿角花輪駅間は、予定線(青森県三戸より秋田県毛馬内を経て花輪に至る鉄道)の一部だった。

 

 

A year after the filming

Pleasant shadow has vanished.

  Filming: September 22  2002

撮影から1年後

心地よい影が消えていた。

撮影 ;2002922

 

 

 

 

 

 

 

 

 


HHJ  2002.10.10  VOL.88   RIVER UTOPIA

 

影を作ることの意義

 

 

922日、6段変速の折りたたみ自転車で国道7号線を走る。米代川に沿って花輪に入る車の往来の激しい道路で、多量の排気ガスがペダルの回転を次第に遅くするのが分かった。小坂に行く途中の黒沢から山越えして瀕田石に降りる森林コースの方が、はるかに疲労が少ない。女神という地名のバス・ストップから山道を通って花輪に入った。峠のリンゴ園の果実はまだ熟していなかった。高屋集落が眼下に見えると、柴平発電所の銀色の送水管も遠くに浮かんだ。幸い高屋橋のすぐ下流が冷水間瀬川の終点で、前に書いたように米代川の水源地帯の水が再び米代川を流れる。鹿角市の中心部でロマンチストが〈ああ、この水は水源の一滴なのだ〉と夢想しても、それは洪水の時以外は愚かしい錯覚なのだという生の現実に目覚めてもらえれば、リヴァー・ユートピアは他に言うことはない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 丘の上の小平(こびら)に着くと、時計の針は2時を回っていた。4時間かかったことになる。しかし、もっと驚いたのは南フランスの田舎町の辻公園を思わせると書いた例の角から桜の老木が消えていたことだ。商店前はアスファルトが敷かれて、何でも均一化される時代にふさわしく影らしい影の一片もなかった。太陽の下ではすべて等価である、と虚無的に宣告しているように思えた。店の女王人に厳しい口調で聞くと、一年前に店を前に拡張したとき木が邪魔なので切ったと答えた。小平のシンボルなのに、雑誌に書いたのに、と言って歴史意識のなさを嘆いた。

 

それから、ドキュメンタリー撮影を要望した関新さんの家を訪ねた.日

曜日だからいるだろうと思っていたが、運悪く外出していた.疲れが取

れないので、撮影は冷水川と間瀬川の合流地点から始めて、終点に近い

高速道路の下までにした.小枝指(こえさし)に通じる橋から川の石が赤

く染まった.理由は確かめる暇がなかった.帰りは、柴平(しばひら)の無人駅から電車に乗った.自転車は袋に入れる規則だが、車掌は大目に見てくれた.専用のスペースが付いていない車両なので、座席の間に自転車を入れた.若い頃の気ままな旅に戻ったような気分だった.

 

 

Cherry tree at center of Kobira

 I feel an atmosphere in south French town. The area has  history of conflict against mine pollution in the Edo Era.   

 Filming: May 29  2001

小平の中心にある桜の樹

南フランスの町の雰囲気を感じる。江戸時代に鉱害闘争の歴史がある。

撮影: 529 2001     

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


HHJ  2001.6.15  VOL.80  RIVER UTOPIA

冷水川・間瀬川ドキュメンタリー撮影 

 

 

冷水川ドキュメンタリーの撮影制作の準備のため気晴らしをかねて花輪リンゴの林を通り、小平(こびら)地区に行った。なぜ冷水か?鹿角市民が要望した動機はのどかな丘陵地帯を眺めてみれば、すぐに想像が付く。山の項きから麓まて発電所の銀色の水路が輝いている。水は米代川の源流瀬の沢川から地下水路で運ばれる。撮影のとき気になっていたが、忘れたトンネルだ。発電所の水は間瀬川に入り、小平の南の水田地帯で冷水川と合流する。地図と違って現地の標識では間瀬川が本流の名前になっていた。短いが、水量が多いせいか…

 柴平発電所について調べてみた。秋田県鹿角発電事務所の話では県企業局の管轄で、電気は東北電力が買い上げているという。昭和39年建設。それ以前は江戸時代のかんがい用水路があったとか、と職員が付け加えた。頼りない記憶を辿って歴史に触れることは、サーヴィス精神とは関係がなく、風土の現われだろうと直感した。

 

鹿角市史によれば、鉱毒水などの公害の記録は稀で〈せいぜい小川に小魚が棲まないといった類〉だが、小平地区には〈東の山の鉱山(かねやま)が盛ると、稲が枯れてケカチになる〉という言い伝えがある。東の山の鉱山とは冷水川の源流佐比内(さひない)沢にあった細地(ほそじ)銅山だという。勝又真三家文書には、細地銅山小屋を嘉永七年百姓共が焼き払った事件を役人が取り調べたという記述が残る。農民の戦いは明治時代にも続いた1。尾去沢鉱山関係文書の一節を直訳すると、〈鉱業を興せば、山霊の怒りに触れて悪風が起こり田畑を害すると言って、村人が鉱山開発を頑固に拒絶する。〉

 小平の集落に入ると、商店の前庭に影を落とす大きな桜の木が見えた。南フランスの街角の辻公園の趣が気に入って、10数年前そこで休んで喉の渇きを癒した場所だった。向かいには派出所があり、自動車レースにぴったりな地形なのか、暴走を禁じる看板が立っている。十字路の斜め向こうには小平集会所の建物がある。そう大きく書いた集会所の看板は他に知らない。山の方に歩くと、民家の前を通る用水路に洗い場が必ず付いていた。                   

 

1        この地域は、南部(盛岡)藩の領地だった。銅は、幕府を通して長崎からヨーロッパに輸出された。

 

 

 

Atelier Half and Half